ルールを選んでいるのは自分

結局、自分の価値観の中でしか生きられない
などという言葉もあるように、
自分が幸せなのか、賢いのか、能天気なのか
などというのも自分で決めているわけです。
生きるルールを自分で決めて、「あいつは間違っている」などと他人のゲームに口出ししたりするわけです。
自分と他人が全く違うルールで生きていることを、すぐ忘れるわけですな。
 
生きることを遊びに、深刻さを捨てて、楽に生きたい。
そんなことを思っていましたら、下記のような遊びをされている方たちが。
http://shi-naneko.que.jp/page/momotetsu/
 
これを読んでいたら、「ここでこう(ルールから見れば失敗に)なったら、オイシイかも」という表記が所々に。
 
おー。
ゲームで勝つことを楽しみにする、というのもあるが、
ゲームの過程そのものを面白くし、トータルでどれだけ面白い経験(楽とは決してイコールではないことも)
をするか、ということに本当の勝利(というか満足感)を見出すか、というのも、アリなのだわ。
というか、ゲームをすることの楽しみというのは、本来そこかもしれん。
 
大変な状況に追い込まれたら、他人事だと思え」という先日のアレも、
ゲームを楽しむことを忘れないという点では重要な示唆を含んでいるのではなかろうか。
ある一定のルールに則ってゲームをしているように表面では見えても、
実は個人では違うルール(勝つより、ネタとして面白いことをしたいとか)でやっていたりする。
そんで、それでいいんだわ、と。
 
真面目な顔をして「わかります」とか言っていても、
頭の中で、相手の顔に落書きしていてもいいわけです。
 
そんなことを思っていると、面白い人生かどうかというのは自分が決めているのであるし、
失敗のある人生というのは、実は、とてもオイシイのではないか・・・
などと思ってしまいました。
 
深刻にならず、
オイシイ人生を。
 
あっ、でも士気が落ちない程度に、わかりやすく良いこともお願いします。
こんなこと書くから、修行(苦行)好きな人生とか言われるのだろうか。
いや、楽して生きたいだけなんです。
楽になるために、こんなアホなことを考えてみたりするのです。
心がいつも平和で、愛に満ちた、刺激的な楽しい毎日が送りたい。