ジャハタ・マドゥ・ウジャリ

内観をするために、前世CD聞いていたら、観てしまった/笑。
頭から、薄布をかぶり、それが落ちないように金の輪をさらに頭の上からはめている。
薄布は2重ぐらいになっていて、中から明かりと足元は見えるが、周りは見えない。
布は、膝丈ぐらいまである長いものだった。
名前は、ジャハタ・マドゥ・ウジャリという。
マドゥとマヌーの間のような発音だった。
名前じゃなくて、何か地位のの名称とか、あだ名かもしれない。
若い女性だ。
自分の肌は小麦色〜褐色という感じで、アジア系だなという感じがある。
背も低く、割合小柄で華奢な感じだ。
足はサンダル履きだった。
 
私は、何かの象徴として周りに大切にされているという感覚がある。
誰とはなしに、
『神が憑いた女』
と私は言われているようだった。
眠るとき以外はいつも薄布を頭から被っていて、人の顔を見ることがない。
人と話すときに、的外れな方向を見ているという感覚はなかったので、
ごく近い周りのシルエットぐらいは、布を通して見えたのかもしれない。
何かの式典のようなときは、金の輪は王冠のような細かく細工されたもの(やはり金細工)をしていたようだ。
 
私は、朝が好きだった。
起床して、侍女のような人が私の着替えと薄布を頭に被せに来るまでは周りを好きなように眺めることができるからだ。
そうはいっても、自分の部屋から外を見るくらいがせいぜいで、その外もバルコニーに出ては観ることができない。
バルコニーに出るようなときには、人に見られる可能性があるので布を被らなければならない。
朝になっては、まぶしい陽の光と自分の部屋を眺め、幸せだなと思い、感謝した。
侍女のような人が来るときには、布を被せてもらうまでは目をつぶっていたようだ。
徹底して人を見ないようにしていたらしい。
自分の外見もこんな人物では、という予測はしても、成長してからは鏡を見たこともないようだった。
 
子供の頃の風景になった。
目の前に、母らしい人が裸の赤ん坊を抱いて立っていた。
サリーのようなものを着ている。
食うに困らない程度に貧しい家のようだった。
でも、それが私が生きた社会では普通の家庭のようだ。
悲しみのような、安心のような、畏れ、励ましのような複雑な表情の混ざった瞳で母は私を見下ろしていた。
赤ん坊は弟だろうか、まっすぐな目で、私を見下ろしていた。
家族の前で、私は薄い布を頭から被せられた。
それが私が人を見た最後だったようだ。
 
私は、薄布の外の世界に出たい、といつも思っていた。
この私だけの狭い世界にいるのは嫌だ、と。
けれど、この薄布が私を守っているのだ、とも感じていた。
そして、外に出たいと思っていながらも、私自身はすでに外の世界に存在していて、
薄布の内と外というように世界を分離しているのは私自身なのだ、
というのも自分でわかっていた。
 
結婚することになったのだろうか。
私は、いつもの布を被った装束のまま、自分のベッドに腰掛けていた。
その私の前に、男性がいて、私の薄布に手を掛け、めくり上げた。
男性は微笑んでいた。
私は、ものすごく久しぶりに人間の顔を見て
「ああ、人というのは、なんと美しい生き物だろう」
と思った。
その男性は特別に顔の造作がいい、というわけではなかった。
ただ、人というものの姿に感動した。
光を放っているようにさえ、見えた。
 
 
・・・しまった、年代訊くの忘れた。
薄布に関する世界観の気づきは、今の私はわかるけど、半年前だったらわからなかったな〜。
自分で世界に壁を作るのって、疲れるし、実は自分のためにならないものですよね。
まあ、でもふとするとつい、作っちゃうんだね。
ま、壊せばいいさー。壊して食べれて、エネルギーにすればばいいのさー。
壁自体も自分だものね。