死と生の選択

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

年末だったか年始だったか、船に乗っていたとき
衛星テレビでエリザベス・キューブラー・ロスの特集を見た。
死というのは、私にとってとても興味のあるもので、
そのため、ターミナルケア(末期医療)というのにも興味があった。
図書館で、たまたま著書を見つけたので、借り、読んだ。
キューブラー・ロスについてはいろいろなHPがあるので、そちらを見てみてください。
キューブラー ロス - Google 検索
 
この本の中に、「死の受容のプロセス」の5段階というのがある。
否認と隔離/怒り/取引/抑うつ/受容
というやつ。
まあ、本にはもっと詳しく書いてあり、どういう状況かというのをインタビューの書き下しで読むことができる。
これを見て、思ったのだが、というか読んでいる最中に気づいたのですが
私が今、自分の人生というものを受容しよう、生きようと模索している状態は
同じ経過を辿っとるじゃないか、と。
この経過が起こっているのは、親との関係が一番よくわかる。
小さな上記のサイクルは、大きな流れの中でもまた起こる。
なんだこりゃ。
じゃあ、私は死に向かっているのか。
まあ、生きるということがすでに死に向って発射された矢のようなものだという認識もあるけれど。
 
ううむ。
生きるということが、ますますよくわからない。
 
まあ、今までやってきたことが、時計の針を戻して親に償いと私の人生のやり直しに大して責任を取らせようとしていたということだったり、
ものすごくゆがんだ価値観の中で、それを実は深いところでは自覚しながら自分の正しさを証明しようと躍起になっていたり
ということだったのはなんとなく感じつつあるのですが。
 
それにしても、矛盾を抱え続け葛藤をしている自分は、愚かさを体現している、愚劣そのものだという思いがどうしても重く付きまとっていたのですが、
死の瞬間を読むと、さまざまな葛藤に苦しむ多くの「普通の人」が出てきて、
あら、葛藤それ自体が存在するのは、「普通」なんだ、
と思い、ちょっとホッとした。
というか、そのことで力んでいた自分が、ちょっと笑える、と思った。