意識的に生きる

いつの間にか、このはてなでの日記も一年となりましたー。
皆様どうも、ありがとうございます。
元々は、レイキで起こる変化の記録でしたが、
最近レイキの話、少ないですねー。
まあ、なるようになりますので、今後ともよろしくお願いします。
 
今まで、色んな手法で人生の見方を学んできましたが、
結局、やっていることは皆
「意識的に生きるにはどうするか」
という手法につきるのでは、と思いました。
禅も、レイキも、哲学も、フォーカシングとかの手法も、そりゃ色々あるけど
結局、自分自身がどういう生き物か
自分自身がどんな観念の元に生きているのか
何が自分を悩ませているのか
その悩みを作り出す考え方のパターンは何なのか
何が不愉快で、何が心地良いのか
何をすれば罪悪感を感じ、何をすれば喜びを感じるのか。
そもそもの自分について、どのような判断を常に下しているのか。
今の自分から、どのような自分に変わって生きたいのか、
何を変えたくないと思っているのか、その考えは何のせいなのか。
どのようなカテゴリーに嵌って生きているのか、
それは本当に必要なものなのか。
今まで認識していた世界は、絶対なのか、幻想なのか。
 
自分を取り巻く世界を変えようとするのではなく、
自分自身を変える。
周りを批判し続けるのではなく
自分自身の中にある、その批判を必要とする考え方を手放す。
他人は、本当に、完全に他人であり自分とは異なるもの、それ一個が世界であると認識する。
反面、相互関係にある以上、その世界自体が自分の中に存在するものであると認める。
矛盾するものがいくつも同時に存在することを認める。
 
いろいろなことをしてきました。
考え方はこれからもどんどん変わって行き、
私の生き方は完全に変わるものだと思います。
 
結局、やっているのは、やろうとしているのは
「意識する」ということの力を認めることじゃないかなと。
無視することの恐ろしさは、
別に人間関係で時折存在するいじめのようなものにだけ存在するわけじゃない、と思う。
自分自身の人生を無視することこそが、自分の人生を壊していくものじゃないだろうか。
 
自分の人生に光を持ち込む、
というような表現をスピリチュアルな話の中で時折聞くけれど、
それは「自分の人生の細部を意識して生きる」ということでは?
 
 
結局、喜びも、苦しみも、自分の中から沸き起こる。
自分を変えることが、生き方を変えていく近道じゃないだろうか。
私は、意識的に生きよう。

すべてがうまくいく「やすらぎ」の言葉

すべてがうまくいく「やすらぎ」の言葉

フォーカシング的な人生を立て直す本だと思いました。
最後に載ってる200以上の病気と内面の問題との対応は、まさにフォーカシング!
自分のフォーカシング結果と合わせてみていくと、面白いです。