復習

自己愛とエゴイズム (講談社現代新書)

自己愛とエゴイズム (講談社現代新書)

この本、古本屋で105円で買ったんです。
105円でいいのだろうか・・・という本。
つーか、今アマゾンで検索したら1円〜5600円というとんでもない幅で売っていました。
もう、絶版になっている模様。
 
この本は、今まで読んだ加藤諦三シャーリー・マクレーン池田晶子などを総括するような内容でした。
読み始めたときは前に紹介した池田晶子の本がまだ自分の中で消化しきれていなくて、
かつ読み途中だったりしていた状態で読もうとした。
そしたら、全然頭に入ってこないのよ。
2ページでやめた。
最近は、体の方で本の読む順番が分かっているようで(へんな文だ)、
順番を間違えていると(間に読むと善い本をすっ飛ばしていたり)、
その時期尚早の本は読めなくなる。
大体、猛烈に眠くなるという方式で抵抗にあうわけです。
ちゃんと順番どおりなら、面白いし身になる。なので最近は抵抗しないようにしている。
ま、それはいいとして。
 
自己愛とは、どんなことなのか。
どういうときに人間は幸せだと感じるのか。
愛を求めるのはどういったことなんだろうか。
良心に従うとはどういうことか。
自分自身であるとはどういうことか。
 
淡々と、激しさが無い文章がやさしいです。
是非ご一読いただきたい。
 
 
「これ」を忘れずに生きよう!
と思っても、人間、すぐに忘れるものです・・・。
私自身、「真理」のようなものに出会えた気がした先日ですが、
維持するのは非常に難しい。
「それ」が分かったところで、問題は問題として解決されるのを待っているし。
よく、悟りを得ると問題は氷解する、というけれど
アレは自分の中にある問題に対する執着心がなくなるというだけのことなのではないだろうか、と思うのです。
しかも、なんとかの生悟りという言葉もあるくらいだし、
池田晶子も著書で言っていたけれど「気付きに到達するのは、それだけならそんなに珍しいことではない」と。
それが本当に自分にとって「よいこと」なのか、「真理」なのかは
生き方によって自分自身に示すしかないことだと思うのですよ。
それで、
ちょっと迷ったかもな、というときの復習に
この本はとてもいいな、と思った。
今まで学んだことの総括を自分の中でする意味でも。
 
昨日から、自分自身を振り返るために昔の日記を読み返し始めたのですが
これが辛い・・・。
前の精神状態に容易に戻ってしまうし、そのときの状態もよく分かる。
自己卑下をすることで周りの世界を肯定しようとし
それでも怒りが起こるのを止められない、
もうイヤだ、もう止めたい、この人生
と、いう文章を自分に何千日分も読まされたらどうなるものか・・・
という感じ。
 
まあ、でも今だから出来るのかなとも思うのですよ。
今の私なら、それは卑怯だ!とか、それはおかしい!というのを判断できるので。
でも、イヤだ嫌だと言いながら、よくここまで生きてきたものだ、と思った。
自分自身も相当に、それに対して人格が未成熟なわけですけれど・・・/汗。
人間として自覚し始めてから、殆ど自己否定しかない自己認識で
この年になって初めて反乱(氾濫?)を起こしたのだからなぁ・・・。
 
さて、まあゆっくり生きます。
よく生きてきた、自分、
と言いたい。