善く生きる

死と生きる―獄中哲学対話

死と生きる―獄中哲学対話

本屋で立ち読みを始めて、
これは、ここで読み終わらない!(というか理解できない)
連れて帰らねばー
と思って昨日買った。
昨日買ったから、まだ読み終わってないんですが。
 
この陸田真志という人が何をやった誰なのか、私は全然知らないで読み始めたのだが、
凄いことがこの本に書いてあるぞ、と本屋で思って買った。
この本は池田晶子陸田真志の往復書簡によってなされている。
陸田真志は死刑囚である。現在は生きているのだろうか?
池田晶子は、この2月に亡くなっている。
 
この本を読み始めて驚いたことは、
先に紹介したシャーリー・マクレーンをはじめ、様々なスピリチュアル系の本、
生き方を示す心理学の本と
言っていることが同じだ、ということ。
 
自由とは、自由だと気付くこと。
不幸も幸福も、そう感じる心によって在ること。
全ての責任は自分にしかないということ。
気付きによって、人生の中にひとつ、ランプが付いて、何があるか見える。
一度見えたらランプが消えても、そこにあるということを忘れ去ることは出来ない。
 
 
色々な本を読むようになって、ここに来て気付いたのは
本当は全部自分が選んでいるんだ、
自分の首に枷をはめたのは自分で、自分ではずせるんだ、
ということが、何回も何回も、違う手法で語られていることだ。
その手法がオカルトであろうと、先端科学であろうと、心理学だろうと同じことだ。
 
 
時々、世界がひっくり返るような気付きに出会う。
けれど、それを持続するのはなかなか難しい。
けれど、できる。
 
ただ生きるのではなく、善く生きたい。
それは、経済的なものとかじゃなくて、心のものだろう。
何が善いかなんて、本当は自分は知っているんだ、とも思う。
善く生きたい。