タイ1652年

足元を見ると、金色の糸で刺繍をされた靴。
布の靴だが、刺繍が凄くて地は見えないくらいだ。
ぴっちりしたロングのタイトスカートのような格好で、
この生地にも沢山の刺繍がされている。
私の肌は少し褐色がかっている。
胸まで、サラシで巻くようにぴっちりとした刺繍された布で巻かれ
腕は何も着ていない(肩出し)。
健康そうだが細い腕、華奢な肩だ。
ちなみに胸は、ほぼまな板/笑。
金色の細い腕輪を左手にしている。
ここはタイのようだ。
格好から、踊り子かな?とそのときは思った。
遠くに、緑の濃い森が見える。
 
家々の屋根は先端が細く中央がとんがった形状で
いかにもタイの建築様式だった。
年代を聞くと、1652年という。
私は誰か位の上の人に呼ばれ、若い男性に促され、
石の床に膝を突いて頭を下げている。
前には、白い服を着た50代くらいの男性と、女性のご夫婦がいる。
穏やかな印象で、刺繍のされた美しい長椅子にお二人で座られている。
男性のほうが、私に
「16歳にもなったら、もう十分に大人の女性だ」
と仰られた。
その言葉で、私は少し嬉しいようなむず痒いような心持ちになる。
気が付くと、右に若い男性がいて、嬉しそうに私を見た。
どうやら、この若い男性が前にいるご夫婦のご子息で、
私はこのご子息と結婚することになったようだった。
どちらかといえば、ご子息に好かれてではあったが、
お互い、好意を持っての結婚となったようだった。
 
場面が変わり、私は実家にいた。
上記場面よりも、数年前のようだ。
私は10歳である。
母(結構年をとっている)が、私の手をそっと握り
何事か言ってくれたが、聞こえなかった。
私は、位の高い家に手伝いに出されるようだった。
家は農家で、猛烈に貧しいわけではないが、
お金に余裕がある家でもないようだ。
父や兄弟についてはまったく出てこなかった。
 
また場面が変わり、奉公に出た一日目、雇い主のご夫婦に声を掛けていただいた。
奥様が、
「これからは、女性にも教育が必要です。よく学び、働きなさい」
と穏やかに仰ってくださった。
この時代のこの国の考え方では、これは非常に珍しかったようだ。
このお言葉のように、私は奉公人でありながら教育の機会をいただいたようだった。
勉強自体は好きではなかったが、これがどれだけありがたいことなのか、
重要なことなのかというのは学んだようだ。
雇い主のご夫婦は非常に珍しい考え方のお二人で、
どんな仕事、位の人間であっても、人間であることには変わりない
という、平等の精神と、博愛の精神を持っていらした方だったようだ。
私はお二人のようになりたいと思っており、
またお二人の考え方のおかげで、ご子息と結婚できることになったようだった。
 
しかし、この時代、奉公人と雇い主が正式な夫婦になる(妾ではなく)ということは、
普通ではとてもありえないことであったようだ。
私は結婚するとともに前の身分を捨てるような形となり、
結果的に、母と面と向かって会うことはできなくなったようだった。
 
寺院に、お参りに行った際、私は金で出来た蓮をガネーシャの像にお供えをするため
持っていた。
ガネーシャがいたが、仏像もあったようだ。混合??
位が上がったことで、その蓮の花を下の位の人の代表で捧げる役があったらしい。
ガネーシャに収める花にその人たちが願い事や祈りを捧げていき、
その中に私の母がいた。
見つめあったが、言葉を交わすことは出来なかった。
そういったことが何度かあったようだった。
 
 
場面が変わり、私は沢山の子供に恵まれたようだった。
右に夫が座っており、私は左に。
周りには子供たちがいた。
あの、雇ってくださったご夫婦の立場に自分がなっていた。
「どんな子供にも、教育が必要です。その恩恵は計り知れません」
と夫に話していた。私は、あの奥様のように生きようと誓っていた。
夫は、私の話をきちんと聞いてくれる人だったようだ。
私は40〜50代になっていた。
そうしてとうとう、
「どんな立場で位であっても、何年離れても、母は私にとって母なのです。
母を愛しいと思う娘に過ぎないのです」
と夫に言った。
夫は初めは渋ったが、やがて理解してくれた。
公にというわけには行かなかったが、やっと、母に会いに行くことができた。
母はもう、相当に年老いていたが、私の手を両手でしっかりと
暖かく握ってくれた。
 
私は、男女や位によっての差別が出来る限りなくなるよう、
出来る限りの博愛の精神を持って生きられるよう、尽力したようだった。