祈りの場


 
金沢21世紀美術館の感想、その2
 
カプーアのブースに入った。
入ると、学芸員さんが入口で座っているだけで、初めは誰もいなかった。
コンクリートの壁に、くらいあな。
 
突然自分の中に踏み込んだような感じ。
「ここにある」
と何かが言う。
何が言う?何がある?
静寂と、果てない質問、何かの受容の笑み。
底のないような暗い穴、闇の空間に、踏みこんで、包まれて、そこに居たい
という思いが立ち現れる。
この闇に、懐かしさを感じる。
この闇が、私の一部だ。
いや、私はなく、私が闇だ。
目を閉じて、真っ暗なバスルームで、ちょうど良い温度の風呂に浸かっている感じに似ている。
しかし、もっと厳しくて、涼しくて、やさしい。
ここにある、何かが。
わからないけれど、何かがある。
 
ああ、ここに暫く居たい!と身をよじる。
身をよじっていると年配の夫婦が入ってきて、じいさんの方が
「ねえちゃん、これ、わかるか?おりゃあ全然わかんね」という。
全然わからない!すばらしい!
全然わからないですよね!と言ってすごく嬉しくなる。
全然わからない。わからなくたっていいのだ、これは全然わからないのだから。
入口の説明文で、「世界の起源」という題名を見て、ぐらっとする。
ノックアウト。
 
 
いくつかの作品を見て、
最後にジェームズ・タレルのブルー・プラネット・スカイの部屋へ。
いきなり、天井のくりぬかれた空間へ。
ひやりとする、18時の金沢の空気と、深い青の夕闇、白い壁。
ざわついたものが、入口のドアを通った瞬間に、落とされる。
私の後に入った人が、部屋の周りを囲むように配置されたベンチに座る。
 
それを見て、ムスリムの礼拝を思い出す。
そうだ、ここは、私の中だ。
ここは、祈りの場所だ。
私が自分のフェルトセンスと語りあうのは、この場所だ。
それが形になったのが、この場所だ。
 
どんな時にでも、静寂は私の中にあり、それは私に寄り添っている。
私が静寂に注意を向けるだけで、私はそこにいることができる。
静寂は私の中にある。
そこには、求めるものがいる。
既に満たされたものがある。
心をそちらに向けるだけでいいのだ。
 
世界の始まりは、心の中の、静寂の場にある。
そこは、祈りで満たされた場所だ。
そこに落ちれば、自己が消え、
満たされる。
いや、
満ちていることを、ただ知る。
 
私は、どんな状況にいようとも、常にそこにいるための技術を手に入れたいのかもしれない。
 
でも、もうそれは、ある。
 
普通の感想↓
Waves with the ocean 金沢