と、したら?

学校に通うまでの一時間程度のバスはいつも、
自らと語りあう時間。
 
私は、もともとは今この人生の道にを選択したのは
親への復讐心によるものが発端だ(それについてはこの辺参照)。
先日、そして私の人生は逃げてばかりの結果だったと気づき、
もう逃げないためには、どうしたらいいだろうと思っていた。
 
復讐したいというのは、「お前のせいで」ということで、本当に怖いことをしない理由を、相手に押し付けていたということだった。私は。
本当に怖いことは、私が唯一自分の存在価値と思っていた能力が、本当は意味のないものであったり、思ったよりも能力がないということが自らに対して明らかになることだ。
つまり、「絵がダメ」というレッテルを自分で自分に貼り、自尊心が崩壊することを恐れていた。
その頃の自尊心は、自分には生きる価値がある、という生命のきらめきのようなものを、全てそれ一つに依存させていた。
ひいては、私の世界では自尊心は外付けのみのものという解釈で、内側から自分で構築した確固とした自尊心が存在しないことが明らかになることが怖かったのだ。
でも、もう明らかになっちゃった/笑。
だから、怖かねぇ。
 
第一、自分が世界一自分の絵を愛して、宇宙一素晴らしい絵だ!と自分で確信があればいいのに(というか絵描きはそうであるべきだと思う(設定として))
それができていなかったのだから、私は絵描きには向いていなかったのだ(以前は)。
その確信を、世界に向かって叫べる勇気がなくて、逃げていたんだな。
結局は自分の問題だ。
 
そんで、
復讐で始めた今の道ですが、今、結構きつい思いをしてやっているのですが
「復讐で始めたんだから、楽しいわけがなかろうもん」
と、思ったりして。
でも、海は好きなんだよな(海関係なのです)。
船も好きなんだよな。
好きなこともあるんだよな。
じゃあ、「楽しいわけがない」と決めつけているのはなんで?とフォーカシング。
 
楽しいとしたら?
本当は、とっても好きなのだとしたら、いったい何が「楽しいわけがない」と言わせているの?
と訊いてみる。
 
うーん。
ふふふ。
ははは・・・明らかになることは、いつも、馬鹿らしいほどに可愛いことを言う、と最近思う。
 
「自分には、対象を愛するだけの価値がないのではないかと、怖かった」らしい。
「その価値がない」と言われるのが怖かったと。
 
うーん。
「愛する能力がない」とか、「相手を愛するだけの価値がないとか」、
 バ カ かっ
と、
それを聞いて、笑いながら自分に言ってしまいました。
だって、対象は地球だよw
しかも、こっちは愛してくれじゃなくて、愛したいだけなのだよ。
何かを奪いたいわけではないのだよ、ただ知りたいだけのこと、ただ自らの心の中に置きたいだけなのだよ。
あげるだけあげたい、と言っているだけなのに、何を言っているんだ、と思う。
第一、私は、ソレから生まれたのにねぇ。
笑ってしまいました。
 
そんで、地球で他人との関係性を見るフォーカシングのようなことをしたら、
やっぱり、ワタクシったら、一人で大変だっただけで、
相思相愛でした、という。
好きなだけ、好きなように、何でもやりなさい、と言われました。
ははは、アホだなぁ、私。
我がことながら、何かかわいらしい葛藤だよ。
しかし、これで、10年も苦しんでいたのだから、大変でした。
 
何かに対する思いは、間に何かを挟むと自分の本心を覆い隠してしまうのかもしれないな。
初めから、対象と自分、というのをまず大切にして行けば、近道になる気がする。
これからは、そうしてみよう。
 
大体、愛情も憎しみも、大体が相思相愛なのだ。周りを見ると、よくわかる。
結局がすべて、自らの鏡でしかないんだという、それだけだ。
やれやれ。
 
すきなものはすきといおう。