死について

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2008-08-20&ch=07&eid=86
http://cgi4.nhk.or.jp/feature/index.cgi?p=QjjDjQbu&c=8
http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/10727.html
 
きたやまおさむ 帰ってきたディスクジョッキー2008・夏」
という番組を、偶然聞いた(NHKFM)。
聞き始めたら、死の話だった。
 
私は北山修という人は知らなかったが、有名な人らしい。
ミュージシャンで精神科医で大学教授なんだとか。
 
人は死ぬのだ、ということを、私は長い間忘れて生きてきた。
昨年、従兄をなくすまでは、私が先に死ぬものだ、と思っていた節がある。
どう考えても親の方が先に死にそうなものだが、あんまり考えてなかった。
親の場合は、以前の私は「もう死んでいる」カテゴリーに入っていたのかもしれない。
なぜなら私は、「私たちはいなくなる」という呪文を耳元で囁かれながら育った。
「だからお前は一人だ」
という教育が、私の孤独感をしっかりと育て上げたのですが、
その影響の一つとして、
両親は「いなくなる」のではなくて
「すでにいない人がそばにいる」感じだったのかもしれない。
 
しかし実際は、自分の方が置いて行かれる可能性の方が、大きい。
 
ゆっくり死ぬ
ということを、思う。
人は突然亡くなったりするが(従兄はそうだった)、
自分の中では人は突然死んだりしなかった。
 
何段階にも分けて亡くなっていった。
それは、私が故人を私の中で殺していく作業のようでもあった。
まず、連絡を受けて、一回。
嘆く家族、親族を見て一回。
死体を見て、一回。
お経を上げられて、一回。
焼かれた骨を拾って、一回。
思い出してはなくなっていることを確認して、一回。
 
ああ、しんでいる、もういない、もういないと思う。
もっと、ああしていたら彼は死ななかったのではないかと無数に思い、
その都度、結局それをできなかった自分と、亡くしたという現実に、
自分が殺したかのような罪悪感に苛まれ、
思いがどうあっても、もう死んだのだ、と確認した。
 
 
この番組では色々な話をしていて、
人が亡くなったということを
「半年から一年、数ヵ月かけて納得する」
「殯(もがり)の悲しみも半年一年と癒えるのに時間がかかる」
「罪悪感痛みを味わってからしか変われない」
と言っていた。
自分の経験に重なることだ。
  
「ぽっくりいかないほうがいいかもしれない」
「ネガティブな死にしない」
というような話もあった。
 
あと、面白かったのは夕鶴の話。
「夕鶴のラストを変えなくちゃ!」と言っていた。
おつうは鶴の姿を見られた時、よひょうに「うわっ」とか言われるでもなく、
「あれ?つうがおらん(鶴はいるけど)」と、無視される。
そこで傷心のおつうは消えてしまうわけだが。
「おつう、鶴のままだろうと、居残る」
「よひょう、あきらめて、鶴と暮らす」
「よひょう、いっそ鶴になる」
にしたらいい、と/笑。
 
「傷ついているのは罪なのか」、という話もあった。
タブーを排除するというのはもうやめて、受け入れよう、と。
これは夕鶴の話に通じるものでもあるし、
日本人のタブーに対する考え方をもっと柔軟に、という意味もあるのだろう。
北山氏が精神科医であることもあって、自殺やうつ病に関する話もあった。
おそらく、
夕鶴に見られるように、日本の古い考えではタブーは排除するもので、
タブーがあった場合(喪に服している状態や病気にかかっている状態を含める広い意味)、
それが当人にとって恥であったり、罪悪感になってしまうというのがあったようだ。
これを、もっと穏やかな視点で見よう、という意味だったように感じた。
 
タブーがある、タブーを犯しているというのは、それだけで当人を苦しめるものだろう。
 
うつ病も、うつ病でいるだけでタブーと思わせる情報が多かったので、苦しむ人が多いのだろう。
うつ病だって言うだけでもう苦しいのに、えらいことですよ。
で、
うつ病というのは全てマイナスに見える病気」だと北山氏は言っていた。
だから、
「将来も治療もマイナスに見え」て、厭になってしまうと。
自分の存在もマイナスになってしまって、亡くなってしまったりするのだ。
うつ病の話のときは、
誰かを亡くした時もそうであるように、
癒えるまでには「時間がかかる」と言っていた。
「劇的に治る」というのではなくて、ゆっくり治っていくと。
でも、「劇的に治る」のを期待して、
そうはならないので、
治療をやめて、
亡くなる
というケースがあるらしい。
 
第一、本来、タブーなんて本当はないのだ、と思う。
逸脱している人を決めて、あいつを排除すれば自分はまとも、
みたいな幼稚な世界観の中に、もう私たちはいる必要はないのだ、と
ただ気付けば、
もっと優しい人になれる気がする。
 
それに、実際の話として、
どこの世界に連れて行っても、完璧にどこもおかしいところが何もない人
などいたら、その人こそ、一番の変わりものではないだろうか。
多少変なところがあってこその、普通の人間だ。
そういったところを少しずつ容認して、
少しずつ大人になっていくのだろう。
 
番組が終わる時、
「人は細かな細かな別れを繰り返して、最後に取り返しのつかない別れをするんです」
と言っていたのが印象的だった。
 
もういろんな話があって、それはまた今度。
あとから少しずつ、思い出したりつながったりするのだろう。

他者の死に向き合うことで己の死をよくする /死につきあったほうがいい しっかり悲しんでおく ゆっくり殯を尽くす 記憶があるから悲しい /愛しい痛しい /ギャップ /形見を残す 芸術家は作品をつくる 我々は死ぬ(と知っている)から、残す /死を意識すると、充実した人生を生きる 圧倒されない /ぽっくり逝かないほうがよいかもしれない 充実できるかもしれない /ネガティブな死 /死についての本 /半年から一年、数ヵ月かけて納得する /タブー、不浄視することがが苦しめることも 病人にも →本人を休ませるために使う /自殺について うつ病 薬が効くのに亡くなる /北山精神科医 坂崎 /傷ついているのは罪なのか /周りの対応の仕方 /夕づるの書き換え 鶴が居座る 去らない よひょう変わる、があきらめる、受け入れる、鶴になる 日本人が変わるかもしれない /自殺 視野が狭くなる いないほうがいいんだ 死者が恨みを張らす最後の形 死者に鞭打たず /罪悪感痛みを味わってからしか変われない /うつ病は全てマイナスに見える病気 将来も治療もマイナスに 時間がかかる /殯の悲しみも半年一年と癒えるのに時間がかかる /鴨女房 鴨のまま暮らす /自殺 うつ病、世界第二位の病気 国家的問題 /病気と音楽隣り合わせ うつ病 乗り越えようとしてできない /高田わたる 大変なミュージシャン 病気を容認 /タブーを排除しない 人間は弱い、弱いところもその人 /排除してゆけば文化が痩せ細る、一緒にやっていく /傷ついていても行きていく そのままいく 去って行かない /罪悪感の起源 西洋との違い /死について考えることで作品が出来る /感動の根源は今日生きてて良かったなあ 昨日死ななくて良かったなあ それをもたらすのは芸術家 人は細かな細かな別れを繰り返して、最後に取り返しのつかない別れをする