まだまだの自分でも

釜山の出張から帰ってきました。
色々面白いことはあったのですが
最後の締めに
財布を落としました。
半月分の食費くらいのなかみと、愛用の財布が……。
まあ出てくる気もする。大丈夫よ、というサインもぼろぼろ。

 
恐ろしきは、
何やら急に
「財布を盗られるかも」
という恐怖心が立ち上がり始めた10分以内に消えたこと。
恐怖よ消えよと願う日々の私なのに。
財布が消えたときの自分の慌てようも、
今思えば驚くほどだ。
以前に比べればどんなにか早く、内側を冷静に出来たかという進歩はあるけれど。
しかし、この平和を行く決意とは裏腹に、自らの期待を満たせぬ我がある。
今や、一部でとはいえヒーリングを提供する側であるのに。
 
 
情けない。
とは思わない、もう、私は。
今の自分は明日の自分の土台だ。
こんな自分だが、だからこそ、愛を注ぎ込もう。
こんなとき思い出すのは、バーバラ・アン・ブレナンの
「全てが完璧にならなければ人を助けられないなどということは、妄想でしかない」
といったような言葉だ(うろおぼえ)。
こうして、完璧というもの自体が、ひとつの自分の妄想と思い出す。
 
全ては今にしかない。
時として、今を生きる、その前に
今に立つ、
それさえ忘れることがある。
でも、ただ、思い出すだけでいい、
選択すると宣言すればいいだけだ。
 
まず自分。
その大切さを、よく抱き締めていたい。