揺さぶられる

週末に、父が来襲し、
非常に疲れました・・・。
「自分が娘を精神的に傷つけることは、正当な権利である」
というかのようなあの言動。
悲しさと怒りがわいてきました。
 
が、
ふと気づく。
 
これは、私が
「私には、どんな価値も影響力もない」
と思っていた、そのまさに渦中にあるときの行動(思わぬところで脱衣 - フジログ)と
同じなのでは??
てことは、
上記の私の思い込みは、父譲りかっ?!
ぎゃー。
てことは、
父も無価値感の中に生きているのか・・・。
その可能性は高いわけだ。
ていうか、
自己価値の低い話ばかり聞いてきた、今まで。
そりゃ、遺伝するか。
馬鹿らしい。
 
うーん、
この父を以て、自己価値を確立するのは、困難だろうな。
まあ、分かったのだから、これからは自分でどうにかできるだろう。
問題に対処する能力が出来てから、
人は問題に気づくものだ
と、たまたま知ったカウンセラーの先生が話していました。
それが本当なら、どうにかなるであろう。
 
 
そうそう、そのカウンセラーの先生が、違う場で
「クライアントの依存からどう逃げるか」
という話をしていた。
まあ、もっと穏やかな表現ではありましたが。
今まで、ひどい人間関係にあったクライアントさんたちは
カウンセラーが親身に聞いている(ように見える)と、寄りかかりたくなるものだが、
まあ、病気になったら休むように、
回復するまでの止まり木が欲しいという行動だろう。
それにしても、
この「逃げる」ということがあまりにも巧みで、
カウンセラーという仕事は、
心理的砂漠にいるクライアントにオアシスを見せながら、
それはどんなに追ってもたどり着くことない蜃気楼
であるかのようだった。
結局、オアシスは何処にもない。
外にはない。
追い続けて、追い疲れて、呆然と立ち止まったとき、自分が握り締めていた水筒に気づく。
とりあえず、その水を飲んでいたら
自分は砂漠ではなく、
映画館の中で砂漠の中にいる映画を観ていたことに気づく。
そんなことをさせているのではないだろうか。
 
馬鹿みたいだが、
オアシスは存在するはずだと信じ始め、とりあえず追ってみないと
それ自体が幻影であることにも気づけないという
なかなか巧妙な仕組みの様子。
初め気づいたときは、物凄くがっくりしたが
(ということは、私も「依存」状態にあったわけですが)
分かってくると、
なんというか、
諦めずにオアシスを求めて良かったのかな
と思います。
 
もう映画館を出て、自分の家に帰りたいよ。
で、家は何処なんだあっ?!!(>◇<;;
やれやれ。