寂しさは脱皮の証拠?

実家に帰省して居ました(まだ居ますが)。
猛烈に物を捨てまくり、人に引き取っていただけるものはお渡しし、
売れるものは売りました。
今日、5年前に自分への進学祝に買った大きな本棚を処分したら
大きな空間が出来上がり、すっきり。
でもちょっと寂しい感覚。
何に寂しいと感じている?
明確に前との連続ではないことを目の当たりにしているから。
口で言うだけではなくて、本当にこの場所は私の家ではなくなろうとしているから。
私を待つモノがひとつ消えていったから。
変化というものの始まりを、またひとつ起こしたから。
喜びに変わる瞬間の無表情のようなものを体験しているから。
(以上フォーカシング)
 
しかし、変わるというのは善いものです。
卒業式のときのような、期待の入り混じった感じがします。
大きな喜びの種を、寂しさという過去の感情を背負った殻の代わりに受け取ろうとしている、
そんな感じです。
脱皮してゆく昆虫たちは、これに似た、もっと大きな感情を体験しているのかなぁ。
ちょっと羨ましいな。
人に魂があるとして、
死んでゆくときというのもこんな感じなんだろうか。
不謹慎ではありますが、死ぬときを楽しみにしている私です。
でもその前に、生まれてきて生きて、これ以上の喜びはないと確信してからでないとな。
 
実家に居て、やはりというか、
私の両親は本当に私が乗り越えるのが一番大きな課題を持っているよなぁ、
と思いました。
まあ、前ほど憎々しくは思いませんが・・・。
肉親だという甘えは、自覚しにくい上に変な脚色をしてしまったり
過去の記憶と連鎖したりしてわけが分からない感じです。
逆に、両親そろって
「おまえは記憶に脚色をして私たちを悪者にしている。お前はおかしい」
などと言われる始末。
フフフ、ざーんねーんなっがっらっ♪
私はここ13年分の日記を持っているので、証拠が残っています・・・。
こんなもん出すと泥沼化するし、言った言わないは離婚するわけじゃないから(出来ないし、親とは結婚してないから・・・/笑)
そんな面倒なことは致しませんが。
ていうか、私の望みはそんなことじゃないんだよなー。
過去の苦しみを穿り返して今が幸せになるものか!
自分の中の抑圧を解放するために、自分の記憶を穿り返すことはするけどね。
それにしても、ほじくるって漢字にするとちょっとイメージがきつくなりますな。
そんなこたぁ、いい。
 
それにしても、まあ、
みんな結局は自分の人生を生きているだけなんだなぁとよく見えたこの帰省。
良い悪いっていう判断は別にしてね。
ああ、そんなもんだったのかー、みたいな。
今年に入ってから、私の中身は一旦全部出して、洗濯して、付いた糸くずとって
きれいにしたそれを見てみたら、いらないと分かったので捨ててw
という感じで
人生観変わっちゃったし、
人の見方変わっちゃったし
色々どうでも良くなって来たし
激動だったのですが、
大方、
「変わらんねー」
と言われましたです。何年か振りでも。
ああ、見てないもんだし、外には表れないものなんだなー
と思いました。
みんな冷たいわ、とかそんな意味じゃなくてね。
結構、無意識に相手の本質を見ているのかもしれないな、とも思ったし。
変わったって感じもするけど、言ってみれば
「輪をかけてってとこあるけど、そんな感じ」
といったところでしょうか。
色々言っても変わらないね、というところは

  • 初めから相手の本質のところを見て付き合いがあるので、基本が変わるわけがない
  • 自分から見た色眼鏡で見たい相手を投影しているので、相手がどうであろうと関係ない(相手の変化で変わるわけがない)

という二つがあるのではないでしょうか。
あんまり、相手に対してどっちなのか突っ込んで聞いたりしなかったので
どっちなのかってのは分かりませんでしたけど。
変わらないねーって言う人の中に、
昔の私が生きているのだなー、今の私はあんまりもう居ないなー
って思ったりして。
微かな寂しさを感じて、これもまた卒業の合図か、なんて思ったりしています。
 
 
そうそう、
怒ったり、恐れを感じると皮膚にまた凄いが出まして。
こういうとき、ステロイドを塗ると収まるのですが、
ステロイドって、もしかして怒りを静める能力があるんじゃなかろうか・・・。
なーんて思いました。
感想です。どうなんでしょうね〜。