一枚の大きな絵を

今日は、大学のオープンキャンパスでした。
って、あと数時間で飛行機に乗らんばならん。
全然心配してないけど、そろそろ帰らないとなー。
 
高校生を相手に、自分の研究とかの話をしました。
三回話してみて、色々分かってきた。
もちろん、希望ある高校生だから、楽しい話しかしなかったんですが。
自分の研究(ワタクシ、大学院生なんです)の話をする。
そのときに、なんか、世界の話にまで広がってしまった、一回。
私がしている研究は、自分の分野だけじゃなくて明らかに色んな分野の人が協力してやるという
研究の世界ではちょっと珍しいやり方かもと思い、その話のときでした。
 
けれど、研究というのは、本来そういうものじゃないかと思うのです。
私は、この形でアプローチします、
では、私はアチラの方法でアプローチします、
という様々な方法があることによって、
総合的な視野を手にして、深く広い事実がわかってくる。
そうして、その対象の本当の姿に近づいてゆける、ということではないでしょうか。
 
そう言ったことを言っているとき、
ふと思った。
 
自分の人生を生きる、
自分の課題に取り組む、
そういったことは、結局は大きなひとつの存在という我々(という私)を
明らかにする方法の近道なのではないでしょうか。
 
この世界、自分だけの孤独な人生を生きているようで、
実は全てが連結した大きな「人間」という存在を生きているんじゃないか。
 
私がやっているのは、地球科学です。
地球科学は、それとわかりやすい地学の分野だけではなくて、
環境問題、宇宙のしくみ、地球の歴史、地震発生、極限環境の生物、大気の流れ、などなど
ここではとても書ききれない、様々な分野があります。
でも、言ってみれば科学は全部地球科学なのではないか、とも思うのです。
壮大な冒険家のような研究者を想像されるかもしれませんが、
ひたすら研究室に篭ってやるような地味な研究も、
地球そのものの姿を知りたい、是非明らかにしよう、という姿勢は同じものと思います。
その貢献度、わずかに見えたとしても、欠かすことの出来ない重要なものです。
そう思います。
 
人の「生きる」という行為も、同じなのではないか、と思うのです。
その人ひとり、もし「生きる」ことがなかったら、
決して、今と同じ世界が存在することはないのだ、
という思いが私の中に生まれています。
 
毎日、一人ひとりが「生きる」ということで、新しい世界を作り続けている。
だから、どの、ひとりの人間も、とても大切なんじゃないだろうか。