一歩ずつ

なんだかあんまり変わんねーなー
と思うときと、
なんつう怒涛の変化の中に居るのだろう
と思うときがある。
まあ、人生は主観の中なのかしら。
 
昨日、久方振りにカウンセリング。
「また同じ問題が!」
というのがあるとホントに進んでいるんだかどうだか・・・。
というような話をしていたら、
カウンセラーの先生に
 
「今のあなたを見てごらんよ、
初めてここに来たときと、
言っていること、
やり方、
考え方
ものの見方が全然違うよ」
 
というようなことを言われた。
この言葉は、一つの卒業証書のような感覚を受けた。
ああ、私はもう、昔の私の考え方から離脱したのだろう、と。
これからは今の私を生きていくのか。
 
「もっと、真なる自分を信じてプロセスをコントロールしないでみたらどうだろう」
というような話も。
信頼という話は最近何度も目にし耳にする言葉だ。
レイキの最中にも
「人生のプロセスは人それぞれです、それを信頼しなさい」
というようなコメントが来る。
 
いいタイミングでやりやすい仕事が入ったり、
突然始めたバイトが自分にとってとても良い治療になったり。
興味本位で始めた前世退行療法のCDや、年末から突然はまったMr.Childrenにも助けられた。
何より、自分の今までの仕事を全部見直す機会になったパニック発作のような症状。
あれがなかったら、私の人生はまだ、始まってもいなかったかもしれない。
不思議なものだ。
 
私の場合、何かをやりたいと思うと、それを始めるまではそわそわして気持ち悪くて仕方ない。
バイトを始めると決めたときも、
店の前を通って次の日には電話をかけた。
料理教室には、前を通ったらそのまま入会した。
そんなんばっかしだ。
 
で、そんなんばっかしの私ですが。
あれだけ、自分の中で切り離してきた両親のところに
帰省することにしました。
このお盆に。
ひーーー/汗。
もう、飛行機も取ったんで
しかも明日なんで、
もう拒否不可。
いや、本当に嫌なら大丈夫なんですけどね。
 
あまりにも私の中のしがらみとして根源に近いもので、
本当に自分の人生を行きたいと思ったときに困った存在であった両親。
しかし、この両親を切り離して、本当に私であることは出来るのだろうか。
私たちの関係はもう、変えられるところまで来ているのではないか。
私にはもう、受容出来るまでになってきたのでは?
私はもう、自分に変容の力があることを受け入れられるようになったのでは?
そう思ったら、航空券のチケットとってた。
チケット取れた、ということはどうにかなるんだろうなぁ。
 
もう、実家は帰るところにしたくない。
私は、自分の家を持つ。
私は、私という家族と生きる。
両親は、新しいお互いという家族と生きて欲しい。
その形は、分離ではなくて、依存の拒否ではない、新しい受容だと思う。
 
でもそれだけじゃ嫌になるので、旧友やらに連絡取りまくって遊び倒す予定です/笑。