紀元前682年 リン

鏡を通り抜けると、手を見た。
手のひらが、白いと感じる。
私の肌はうすい褐色だ。
顔立ちはどちらかといえばコーカソイドだ。
ひざより少し上までのワンピースのようなものを着ている。
走れメロスのメロスとか、ソクラテスが来ていたような感じの格好だ。
足元はサンダル。
私の髪は、癖のある黒。短髪のようだ。
私は丘の上にいて、その下の木々の中をくりぬいたように出来ている
白い建物で出来た都市を見ている。
その向こうには、海があった。
場所はアテナイ、紀元前682年。名前はリンという。
 
私は、ぼんやりした青年だったようだ。
仕事は壷に絵を描くこと。
幾何学模様に動物の絵を描いたり、伝統的な柄も遊びの混ざったものも描いた。
私は自分の仕事が好きだったようだ。
ぼんやりしていたこともあって、私は女性に警戒心を抱かれないタイプだったようだ。
壷に絵を描いていると、白人の女性が私の前に立った。
堂々とした姿で、気が強そうだ。
「わたしのこと、すきでしょう?」
とでも言うような顔をしている。
癖のある黄金色の髪をして、つりあがった目が印象的だった。
「私の手に、絵を描いて」
と言って、白い右手を差し出してきた。
壷に絵を描くような染料しかないよ、という理由で断ろうとすると、
私に、化粧用のパレットのようなものを出してきた。
紅が入っており、結局それで彼女の腕に絵を描いた。
はっきりいって、彼女はどうでも良かったが人に絵を直接描くということが面白く、
きれいに描いてやろう、と思った。
 
どういうわけか、私は女性に好かれたらしい。
市場の中を歩いていると、後ろから来た知り合いに腕を組まれたり
冗談なのか口説かれたりもしたようだった。
私自身はそんなに女好きというわけでもなかったようだ。
それよりも、
海辺で足を海水に浸しながら、海はどこまであるのだろうと考えたり、
何で人により肌の色が明確に違うんだろうと思ったりするほうに興味があった。
 
子供の頃の場面になった。
そこは鍛冶場で、父が何かを打っていた。
山のような男の父は、長い髭を蓄え、いかにも男らしい。
父の目は、とても優しく、鋳物などを子供を見るような目で見つめながら仕事をしていた。
父は後ろにいる子供の私に、
「リン、おまえも、いつかは鍛冶屋になるか」
と訊いてきた。
「兄さんたちならともかく、ぼくじゃ、無理だよ。何か違うものになるよ」
と私は言った。
兄たちは父に似てしっかりした体格の持ち主だったが、子供の私は所謂もやしだったようだ。
それを、自己卑下するでもなく、私は冷静に理解していたようだ。
「そうだなぁ、そうかもしれないな」
と、父はこちらを向かぬまま、やさしく答えた。
父も、この子は鍛冶は無理だろう、と思っていたようだ。
 
予想に反して、私は普通の体格の青年になったようだった。
好いてくれる女性はいくらかいたようだが、私は親の勧めで幼馴染と結婚したようだ。
幼馴染は背が低く、つぶれたような四角い顔で目が細く、褐色の肌、黒髪でトトという名前だ。
いつも不機嫌そうな様子の女性だったが、
それがただ彼女の地であるだけのことで、別にそれで良い、と思っていた。
それに、きっと自分を良く理解してくれているのはトトだろうと思っていた。