不快というサイン

まあ、いろいろある毎日ですが、
今朝方、なんだか納まらない苛立ちのようなものがありましたので
瞑想してみた。
例のCD(ワイス博士の前世療法 心を癒すスピリチュアルへの旅 (瞑想CDブック) [ ブライアン・L.ワイス ])で。
 
最近は、怒りや不快さを抑えるのはやめるようにしている。
感情に善悪はない、ということが実感できるようになってきたから。
感情は、自分に対するサインだと今は思う。
そんで、自分の内面を観察していると、
ある対象に対して、もの凄く怒っていた。
そうそう、
ある対象への不快の感情って、自分の中での完全な理解を経ているものには起こらないんですよ。
と、私の観察の結果、結論がひとつ出ております。
自分の中で、まだ気付いてないくせが残っているよ、
自分の中で、まだ理解を求めているところがあるよ、
と、自分が教えているわけです。
 
ああ、それにしても腹が立つものよ、
なんなんだよ、あれ
と思う。
その対象が、私に対して優越しようという表れなのだな、と感じたとき
ああ、私の中にも、その対象に向って優越しようとしていたのだな、とわかった。
鏡に映る自分を見て、
「こんな私、嫌だ!」
って、怒っていたんだなぁ。
まあ、怒るなよ。それ、自分だから。
変えられるから、結構簡単に。
安心しやれ。
 
と、自分をなだめる。
よしよし、今日も一歩進んだぞ。
優越というのも、コントロールの一種だろうからなあ。
危機を感じて、対抗してむかついたのであろう。
うむうむ、順調なり。