丸い鏡と切り捨て作業

ここのところ、まったく見えない。
前世に辿り着かない。
例のCDで、前世の鏡のところまでは行ける。
丸い、飾りのない直径約1mの鏡が目の前に現れるが、
どうしても入れない。
その場面で突然電話が掛かってきたり、客が来たりして
物理的に妨害があり、入れない。
 
と、同時に、「過去はもう、切り捨てろ」というサインが頻繁に現れる。
頭の中で「全ての執着を捨てるときだ。お前が何かに執着したとき、それら全てを取り去ろう」と訴えるものがある。
これは、なんだか本当にそうなってきている。
いつもどうしても行きたいと思っていた中華料理屋に半年振りに行ったら味が落ちていたり、
ここは絶対にリラックスできると思っていた喫茶店で酷い待遇に遭ったり、
この人に逆らってはやっていけないという人も認識が変わるようなことがあり、
一生の仕事と思っていたものに対しては興味が薄れてきている。
とにかく、細かく挙げたらきりがない。
まるで、「完全」は外にないのだと言われているかのようだ。
 
執着を切りたい、次の段階へ変容させたい、とはずっと思っていたが、
良し悪し関係なく、様々なものが「ただあるもの」になっていく。
良し悪しは私が認識の中で決めているだけのものだから、
本当はそんな差はないのかもしれない。
 
執着がなくなってくると、自由を感じる。
自由って、平和で、楽しいとも思う。
でも、これで良いのかなとも感じる。
渇望から来る行動というのがなくなるように考えてしまうから。
すると、「それでいい」というサインがある。
 
私は何に向かっているのかと思うが、
光明であり、悟りだろう。
 
私はただ、自分は幸せでありたいし、
みんなも幸せであってほしい。
何より、自由であったら良いと思っている。
未来にも、過去にも拘束されるのは
もうすぐ終わるのかもしれない。