自由

最近、自由について考える機会が何度かあった。
本当の自由とはなんだろう。
今の私が思うに、下記に尽きるのではないだろうか。
「今の自分であることを、今、ゆるしていること」
 
自由でありたい!
と渇望するとき、それは
自分が今何かに縛られている状態であることを許している、
もしくは何かに拘束させることをどこかで望んでいる
ということではないかと思う。
本当は何も、何かを拘束することなんて出来ない。
そうであるように思うだけではないかと。
どのような状況でも、どんな自分であるのかを決めているのは
実は自分なんじゃないか。
今年になって、そういった考えを持つようになってきた。
 
物理的な状況をいきなり変えるのは難しいかもしれない。
湖面でボートに乗っているときに
いきなりフランス料理を食べ始めることは出来ない。
それは、「自由ではない状態」だろうか。
自分の決定権は自分にしかない。
楽しくないと感じているのは誰だろうか。
とりあえず、ニヤニヤしてみよう、とか
下らないことぐらいはできるだろう。
 
他人の可能性は見えたりしないだろうか。
「彼は、もうちょっとああしたらもっと成功するだろうに」
その成功の可能性は、自分にもあるだろうに。
そもそも、その成功が幸せなんだろうか。
 
イライラするのは、自分が拘束されようとしていると感じるからではないか、
と思うようになった。
本当に拘束しようとする人は居るかもしれない。
でも、本当はその拘束しようとする人が、
何かに拘束されているのではないだろうか。
自分自身が、今、ここに、存在していることに気づけば、
その拘束は外れ、
状況を俯瞰する目を手に出来る。
それは、自由じゃない?
 
まず、何かに拘束されていると感じるなら、
それが何であるか気づけば、話は早い。
気づいたら、もう外れているのと同じだ。
自由だ。
自分は、ここに、今にしか居ない。
自分ですら過去も、未来も、今には存在しないし、
今を拘束できない。
 
何にでも試す価値はあるし、
自分はいつも、本当は自由なんじゃないだろうか。
自由だと気づけば、自由になれる。