疑い

自らの霊性とはなんだろう。
 
レイキなどのエネルギーワークは、
自分が霊的存在だという自覚から始まる
というような事を感じる。
つまり、
自分に魂というものはあるか
もしくは、人間とは魂をもつのか
ということを
信じているかどうか、ではないだろうか。
 
不在していた間に、
私は上記の事柄全般に猜疑心を持つ経験をした。
自尊心を支えるものは、
自らの存在が霊的なもので揺らがない
ということに気付くことから始まるのだ、
という自己啓発書は結構多い。
霊的といわずとも、自分の源といえる存在があるのだ、と言う。
私はそういったものに助けられて、自分はこのまま死ぬのではないか、
このまま自死させてしまうのではないか
と言う状況からやや立ち上がりかけていた。
 
ドン、
と言う音が聞こえたのではないかと思う。
崩れた。
レイキは催眠の一種ではないかと思い始めた。
今まで感じたエネルギーも、自己催眠の結果ではないといえるのか?
実際、私は非常に催眠に掛かり易い。
他者による催眠でなくても、自分で思い込んだことを
自らの体に返すことは割と簡単にできるほうだ。
たとえば、体は健康な状態で、どうしてもこの後避けたい用事があるとき、
「今は非常に酷い頭痛を抱えていて、そのために、何も出来ない」
と言う理由を思い込むと、
頭痛薬を飲んでも治らない、異様な頭痛が発生して
本当に起きられなくなる。
 
物事は、まず疑え、という世界で私は今仕事をしている。
私自身の猜疑心も強い方だ。
そうでありながら催眠には掛かり易いので
葛藤は抱えやすいと思える。
 
疑い始めれば、
疑う原因は幾らでも現れるものだ。
完璧な証拠というものは、精神世界の中の現象で、
はっきり言って見たことはありません。
思い込みだと言ってしまえば否定できないところを抱えている。
自己暗示とは非常に強力な力で、
何事も成し得る。
それ故に、意思の力が強いと言うことは否定する気はない。
 
たとえば、私は先月から両手中指の第1関節だけ、皮膚の爛れが起こっている。
レイキを長い間当てているが、未だに改善していない。
レイキは擬薬効果をもたらす手段の一つに過ぎないのでは?
そう、意志の力は強いのだから。
そして、私の皮膚にはその擬薬は効かなかった。
自己暗示で、水をオレンジジュースと思って飲むことも可能だ。
 
 
 
最近は精神世界に特に傾いていたため
このような経験をすることになったのだろうか。
否、
因果などありえない。
 
今はそう思う。
そのため、今はレイキをする気にもなれない。
 
 
一つの事柄に引き摺られ、信念を変えるのは馬鹿らしい。
しかし、
それを無視をして進めるほどに、私は器用ではない。
第一、信念も自己暗示の一つだ。
全て可変だ。