叔父訪問

昨日、叔父に会ってきた。
今、会っておかないと会えなくなる可能性が非常に高かったので。
従兄のとき、
虫の知らせで会う気が起きたのに、会わず
非常に後悔したこともある。
 
まあ、病中の叔父は顔色良かったりでしたが
話しているときは気にならなかったが
帰り(と言っても他所へ行く経路)の電車の中で
「あなたが死にそうなので、会いに来ました」
って言ってるようなもんだよな、と思った。
まあ、だからこそ会いに行ったのはあるけど。
これって、どうなんだろう。
叔父も分かっていることだが、
見世物になったような気になっていないだろうか。
 
自分だったら、どうだろう。
そうか、
自分の罪悪感がその会いに行ったという事柄に鏡のように映って、こう思うのだな。
なんだ、自分のなかみの問題か。
 
叔父と私の顔はそっくりだ。
それを眺めながら、私が幼児だった時の話を聞く。
叔母から、「ほんとうにフジちゃんはお父さんに凄く愛されてー」というのを聞く。
何かがチラッと私に痛みを投げる。
しかし、それはそれで、受け入れられた。
 
過去において、
あの人は、表現する手段について、あれしか知らなかったのだ。
それはそれで、もう過去だ、と受け入れられるようになった。
痛みを抱えることになった過去も、痛みを投げつけられた過去も、過去として、過去にしよう。
その痛みから、私は十分にもう学んだ。
ありがとう、さようならです。
 
今回の帰省は、ずいぶん平和でした。
もう、きっと平和になって行くしかない道だわ!ということにする。
色々ちょっとかゆくなったりはしたけれども/笑。<皮膚に出た。