私のものではありません

切羽詰まれば詰まるほど、ソリティアをやってしまう。
おそらく、先の見えないマラソンではやる気が落ちてしまうので、
小さな起伏を自分で作っているのではないか、と思う。
同じことばかりやっていると集中力も落ちるわけです。
まな板の上に乗るのは、明後日の朝。
おいしく調理されたいものです・・・。
 
今日、学会のための発表練習会を聞いていたら、ふと
「この栄誉は、私のものではありません」
とスピーチしている誰か(外国の人)が頭に浮かんだ。
あ、その意味、
今、分かった
と思う、という体験。
 
自分が一人で仕事をしているのだ、と思っていた期間は終わったのだ、と感じた。
仕事が、オーケストラのようにできたらいいのに、と思い、
自分の仕事はそうじゃないようだ、と半年ぐらい感じていた。
先日から茂木健一郎の講演をwebから落として聴いていたら、
そうしたら、実は、自分も、オーケストラの一員のようにして、仕事をしていたのだ、と気がついた。
そして、それがやっと、実感として訪れた。
まあ、詳細はまたそのうち書こう。
 
しかし、フェルトセンスが向こうからやってくるときって、
時々白昼夢みたいなビジョンがでてくるよな。
スピーチの外国人は、ハル・ベリーみたいな感じでした。
どこかで見たやつかもね。
 
あと、一昨日凄いムカついていた理由が一つ見えた。
「世界が思い通りにいくはずなのに(私以外はみんな思い通りに生きているのに)、
なぜ私だけうまくいかない!」
という憤りの、残りかすというか、感じるのをやめていた部分の噴出だったようだ。
何もかもうまくいったら、ゲームが成立しないじゃないか、という自分と、
ただただ、ムカつきまくる自分と、
二人いて、
分裂していたが、結構そのせめぎ合いもきつかったな。
ミメーシスじゃないけど、完全になりきる、というのは、時によっては、楽だ。
でもそこで自覚が欲しい、というか、目覚まし時計を置いておけたら、いいよな。