バカだとしか思えない

先日、近所のギャラリーの展示を観に行った。
そこには、ある作家の道具が展示されていたのだが、
一つの道具が、ものすごい種類、ものすごい量置いてあった。
たとえば、ドライバーが百点以上置いてあるという感じ(置いてあるのはドライバーではない)。
 
それを見ていたら、
なんというか、だんだん可笑しくなってきて、
もう、我慢できん、笑いたい、可笑しいよう
という苦しい状態になってきた。
 
何が起こったかと言うと、それを見ていたら
「こんなに同じものをやたらに収集して、ああ、もうバカにしか思えない!なんちゅう大バカだ」
という思いが止まらなくなった。
しかも、その道具を、真剣に集めて真剣に使っているのだ。
真剣なのだ。
真剣だから、可笑しい。
 
いつもは美術品とかは、物凄い時間をかけてみるのだが、
その時はもう可笑しくて、可笑しくて、笑いたくて、20分ぐらいで出てきた。
20分もいたのは、ギャラリストが知り合いなので、その人と話したりしたからで。
 
ギャラリーから出てきて、にやにやしていたときに、
「あー、私はあんなバカにはなれないなぁ」
としみじみ思った。
なりたいとも思わなかったが、
素敵なバカだなぁ、とは思った。
そして、そんなバカではない私は、やっぱり芸術家ではないのかもしれない。
少なくとも、その作家のような芸術家ではないのだ。
 
第一、道具、と言ったら私は一つの道具をどうやって色々使うか、という方に執着する。
ものが増えるのが嫌だから/笑。
合理性に美を感じるんだな。
 
 
そんなことを感じた後に、茂木健一郎 クオリア日記: 創造するには、バカになれ!を聞いて、
うーん、やはり、バカというのはバカというだけではない意味がある場合もあるんじゃないかなぁ、と思った。
もし、本当に、本物の(?)バカだったとしたら、バカの裏に潜む才能があるのかもしれない。
というか、天才は、ある意味、バカだと思う。
オカシイことに、無自覚なバカが多い。
あ、もちろん褒め言葉です。