381年 インドの王族

今回は、瞑想CDの段階の中で
前世への扉を入る前に物凄い昔(今生ね/笑)の記憶がたくさん出てきた。
生まれて、臍の緒を切られるとき「あっ、やめてくれ!」と思ったとか、
小学生の時の朝顔の育成で鉢が緑のプラスチックだったとか、
幼稚園の卒業の時にチューリップ貰ったけど次の年は咲かなかったとか。
どの程度本当なのかは無視していいことになっているので、まあ。
 
今回の鏡は、女性用の持ち手のついた銀の手鏡。
また、腕が出てきて、引っ張り込まれた。
鏡を通過すると、浅黒い少年の両手が見える。自分の手だ。
丈の低い草のたくさん生えた丘の上にいて、
私はそこで転んで、自分の手を見た状態のようだ。
白い布をたっぷり使った服を着ている。
もう一人少年がいて、笑いながら転んだ私の手を取り、私を立ち上がらせ、
きゃあきゃあ笑いながら、丘を下りて行った。
場所は、今のインドのニューデリーあたりらしい。381年だという。
 
靴は何をはいているか、というとき、
丘の上では裸足だったが、
突然建物の中の場面に移った。
白と金が基調、刺繍のたくさんされた布靴をはいて、椅子に座っている。
私はその靴を脱ぎ、目線を上げると、25〜30歳ぐらいの女性が私に微笑みかけている。
私は10〜13歳ぐらいで、やはり白い布をたくさん使ったズボンを履いている。
上半身は裸で、その女性は私の腕に香油を塗り始めた。
靴を脱いだのは、足にもその香油を塗るためのようだ。
私は、王族の子供のようだった。
 
青年の時代に場面が変わった。
私は玉座のようなところにいる。
結構な美男になったようだ。
また、女性に香油を塗らせている。
その女性は私よりやや若く、目が合うと、恥じらうように顔をそむけた。
私は、神の化身と言われて育ったらしい。
神の恩恵を人に行き渡らせるために、王族になるべくしてなった王子、
神の子、
と言われていたようだ。
自分自身、それを当然のことと思っていたし、
民に恩恵をもたらすために、神自身が神の計らいによって降りてきたのだ、と感じていた。
それに、疑いなどはなかった。
 
あるとき、庭の円形になっている花壇で、女が死んでいた。
それは、私に香油を塗っていた女だった。
自害した、というのが目に見えて分かる死に方だったようだ。
 
「何故だ」
と思った。愕然とした。
占い師か、法師のような老人になぜ彼女が死んだか聞いた。
「悪魔がついていたのです」
と彼は言った。だから、どうしようもないのだと。
噂では、彼女は私を好いていて、私が王子であるために自分だけの男にはならないことを悲観した、と言う話だった。
 
自分としては、さらに訳がわからなかった。
自分は、決してだれにも所有できない存在だ。
王となれば当然のことで、
まして神の化身であればなおのことである。
人間の自分でさえ、自分という存在を所有することはできないのだ。
 
立場上、何人でも妻を娶ることができたし、
たとえ何人の妻がができたとしても、十分に愛を注ぐ自信もあった。
そういった存在であると、自分に確信があった。
神そのものなのだから。
そうした自分であることを、周りの者は周知している。
 
それにもかかわらず、この事態。
この、不可解さ。
自分の眉間にしわを寄せた顔が見える。
このときのことを、私は生涯抱え続けたようだ。
 
 
で、この結果をフォーカシングしてみた。

  • 自分の無力さを、認められない
  • 全ての事象はコントロール可であるはずなのに、そうでないことが起こることに理解できない、したくない

 
無力さ、という感じの中に浸ってみると、
とても心地よい/笑。
自害してしまった彼女は、彼女の世界に囚われたのだろう。
きっと、生涯忘れることがなかった、ということが彼女への大きな弔いになっただろう。
与えられるものをすべて与えても、どうにもならないこともある。
元々、人生というのはどうにもならないのだ。
なるように任せて、信頼しよう。
 
しかし、この前世のときの凄い自己肯定感、素晴らしい!
あやかろう。
一見傲慢そうな人生だが、とても利他的だったように思う。
利他的なものの中に喜びを見出す回路があるって、
そういや脳の話で読んだなぁ。