ださいなぁ

  • 負けん気を弱く

が、今年の目標です。
でもまだまだ。まだまだまだ・・・・。
 
今日は、なんだかもさー、とした気分になったので
「何に対して動いてないのか、何に気づこうとしているのか」
と訊いてみたら(フォーカシング)、
「後輩に馬鹿だと思われたくなくて
(というより、自分が馬鹿だと思われているようだ、という思いを確信にしたくなくて)、質問できない」
とのこと。
 
あー、ださい。
ださいよ!この感じ。
馬鹿だと思われていようがいまいが、どっちでもいっしょでしょ!
と自分に言う。
でも、馬鹿だって思われるの、嫌だよね。私も嫌〜。
厭なんだから滞るような気持ちになるのは、まあ普通じゃないの。
人間だもの、どっちの思いもあるわけですね。
無理せず進もう、一歩ずつ。
 
 
最近は、「年を重ねることによってしか、熟成しないものがある」ということが分かってきた。
つまり、自分の中に、「年を重ねたことによって熟成された」ものができ始めたということだ。
というより、気付くだけの分量がたまったのか、それに気づくだけの準備ができたということかも。
それ自体は、もっと前からあったはずだ。
 
先日、致知という雑誌を読んでいたら(喫茶店にあった)、
茂木健一郎とどっかの坊さん(大阿闍梨千日回峰行をしたらしい)の対談で
「死にそうな修行をして、死んだら意味がない。死にそうになって、帰ってくることが大事」
と言っていた。
確かにそうだよなぁ。
もう駄目なら死んじゃえ!みたいな気持もないわけじゃないが(投げやり/笑)
毎日幸せじゃなかったら、いったい何のために生きてるんだという気持ちがある。
いつか掴む幸せのために苦行する(日々耐え続ける)のも馬鹿らしいと思い始め、
結局そのいつかは来ないわけですよ、「いつかいつか」と思っているうちは。
いつかは今でなくては。
 
そんなこと思っていたら、前に田口ランディのブログかなんかで読んだ、
「山にこもって修行するなんて、楽なもんだ!里で生きる方がよっぽど苦行だ」
と、苦行自慢する坊さん(この人もイタイ人だが/笑)に言い放ったというのを思い出した。
 
茂木健一郎と話していた坊さんは、
「苦行して、天狗になっては意味がない。苦行したら、苦行したのを忘れないと」
とみたいなことを言っていた。
 
あと、「苦手なものの中にこそ、改善するものが隠れている」なんて意味のことも。
だからそこに入って行けと。
岡本太郎の、「マイナスに賭ける」もそんな意味かね。
ということで、私は早く後輩に質問しろ、ってことか/笑。
うーん。
 
まあ、やってみりゃ大したこともないのだろうけどねぇ・・・たぶん。
いってきまーす。
 
 

ただいま・・・

くそう!もっと早く訊けば良かった!!
いやー、予想通りの展開。
 
まあ、でもここまで粘るのもタイミングだったのでしょうね・・・。
やっぱり、昨日降りてきた(どこから/笑)、「辛い時は動いてない」というのはそうなのかも。
やばいと思ったら動こう、今度から。