青の王女

少し前のフォーカシング。
バスに乗っているときに、なんとなく内側がからっぽな感じがあり、
それに対してフォーカシングをした。
 
気がつくと、目の前に10歳くらいの女の子がいた。
腰ぐらい以上の長さの、濃紺の髪の毛をしていて、
うすい水色の飾りのない、すその長いワンピースを着ている。
「私は、あなたの青の王女です」
と彼女は言う。
私の左手をとると、歩きだした。
ついてゆくと、天井に穴のあいた洞窟のようなところにきた。
上から差し込む光が、天使の梯子のようになっている。
中心に自然にできた小さな水たまりのようなものがある。
彼女は、そこに暮らしているようだった。
私と寂しさを共有し、私の寂しさを記憶しているようだった。
「あなたが、忘れてしまわないように、私がここで守っている」
と言っている。
彼女は、30cmくらいの長さの、宝石でできた杖のようなものを持ってきた。
片方に鋭利な青い四角形のこぶし大の宝石が付いている。
これは何かの鍵の役目をするもののようだった。
「もう時期が来たから」と言い、それをもって私の前に立った。
なぜ、「王女」なのかときくと、それは、私自身が女王であるからだ、と。
そして、その杖のようなものを私の心臓あたりに差し込み、ぐりっと回した。
すると、
突如として、青の王女ぐらいの年だった時の自分を思い出した。
 
 
と、このとき中断があって、そのままこのフォーカシングを放置することになった。
二週間ぐらい放置していたかもしれない。
 
 
そののち、また青の王女のフォーカシングの続きをしようと思い立った。
このときは集中できず、というか、途中でやる気が散漫になった。
このときは「自分の中にあるネガティブな事柄に対する赦しを行う」というワークの途中だった
(というか、今朝だし、そのワークはアバンダンスプログラム13日目のことだ)。
途中でやる気がなくなり、携帯電話で好きなブログを読み始めた。
すると、そのブログは、寂しさに関する事柄が書いてあった。
ひとりぼっちだ、
寂しさが満たされたい、
守られたい、
というような内容だった。
これを読んでいる間もフォーカシングを半分続けているような状態で、
頭の片隅に青の王女がいて、私をそっと見ている、という感じがあった。
そのブログを読んでいたら、
「寂しかった」
という言葉が、ストーーン!と胸の中心に入ってくる感じがあった。
ああ、ずっとさびしかったんだ!私は、
と、突然気がついた。
さまざまな怒りや、諦めや、多くの痛みは私の場合、寂しいという思いを原動力にしていたことがわかった。
これ以上寂しい思いをしないために、どんな人も私の人生に深くかかわることなく去っていく人であるし
(なんか、異邦人(歌)みたいだな・・・。だからあの歌が好きだったのかもしれない)、
これ以上寂しい思いをしないために、私は孤独な人生を歩む人間なんだ、とどこかで思っていた。
どんなに大切に思っても、決して、その思いを人生をもって受け入れられ、私が大切に思われることはないと
どこかで思っていた。
もう、初めからどうすることもできないものなのだと諦めることで、
これ以上の寂しさを感じることから逃げようとしていた。
ああ、心を閉ざしていたのは、私なのだ。
恐れていたのは、私のほうなのだ。
孤独を選んでいたのは、私なのだ。
私は、ずっとさびしかったんだ。
 
もう、寂しい思いをしたくなかったんだ。
 
今、アバンダンスプログラムをしているのも、
スピリチュアルな世界に足を踏み込んでみたのも、
フォーカシングをするもの、寂しさから逃げようとする思いから始まったのかもしれない。
 
さいころ、どんなに待っても迎えに来ない母親を保育園で、幼稚園で、待ち続けた時を思い出す。
私は、とうとう捨てられたのか、と諦めていた。
両親の人生から、捨てられた。私は、他者と共に歩む人生というものから捨てられたのだ。
そのとき、言葉にできなかったけれど、そう思っていたのだ。
だから、どんなに待っても迎えが来ないとき、泣いたりしたことはなかった。
待ち続けても、来ないときは、来ない。
来る時もあるが、それは私の望みを離れたところのものだ。
そしてその思いを確認するような体験を重ねるたびに、その思いを強化していった。
寂しさを感じることを恐れすぎて、逆に今の寂しさから離れられなくなっていた。
どうせひとりなんだ、
これは生涯続くんだ、
そう思っていたのだ。
私が、あの青の王女そのものだ。
私があの洞窟の中にいたのだ。
 
これは思い込みだ、と今の私は、そっと自分に言える。
 
そうそう、アバンダンスプログラムやってるんじゃん、私、と現在の自分を思い出す。
すると、アバンダンスエンジェル、ジェニファー(笑/どうしてもこの名前、笑ってしまう・・・)がいる。
「この寂しさは、あなたの人生への祝福のひとつです」
と言っている。
涙が出そうだ。
「恩恵は、いずれ現れ、かならず祝福と分かる日が来ます」と言い、私の左手を握る。
そうして話していると、何か内側に水っぽいものが現れた。
これは、二回目だ。
他人様フォーカシング(関係性のフォーカシング)で、一度、この水っぽいものに逢っている(記事にはしてない)。
ぶるぶるしているというか、なんというか、水だ。
色っぽいとか言われる人は、この水が多いのかもしれないと思った。
でも、なんというか、乾いているということの対極のような水っぽい感じ。
淫乱とか、そういう色っぽさではなくて、
生きていることの瑞々しさ、そう、瑞々しさだ。
おお、こんなものがあったのか!私に。
少し粘性のある、とろりとしたものだ。
百合の花の奥にたまる雨露のような。
 
目の前に、青の王女がいた。
両手を拡げて、抱き締めた。
よかった、というような感じで、彼女は微笑んだ。
胸に、顔が半分しみこんでいる。
私の中をすり抜けるようにして、彼女は私に溶け込んだ。
寂しさを抱きしめた私は、真っ青なワンピースを着て、立っていた。
もう大丈夫だ、と、漠然と思った。
もう大丈夫だ。
 
 
 

ところで。
左手をとる、ということがフォーカシングで何度も出てくる。
左手になにかあるのか?