普通であること

最近、やっと普通であることの大切さのようなものが解ってきた、
ような気がする。
まだ、分かっていない。
 
自分自身であることを殺していく、
表現としての自己を殺していく、
というようなことをたまに聞く。
自分を出そうとしないほど、自分らしくなっていく、など。
 
ただ在ればいい、と思う。
誰かにならなくていいのだ。
それは、結構分かってきたと思っている。
ただ、自分にさえならなくていいのだ、ということがある。
自分になろうとしなくていいのだ。
自分にさえ、ならなくていい。
真の自己になろうとするなどと、馬鹿なことだと解ってきた。
真の自己ではない自己など存在しないのだ。
 
偽ろうとしている姿があっても、それこそが己だ。
そういう感じ。
ただ、自分が何をしようとしているのか、
何を思って、何に振り回されようとしているのか。
今、自分は何処にいるのか。
そういうことだけ知っている。
後は、いい。
そんな感じ。
 
色々しない。
ただ、普通であるということ。
もっと、ちゃんと体感として、普通でありたい。
でも、自分が普通であると解っているなんてなんて普通じゃないんだろうか
と思わなくもない。
これも頭に振り回されているだけかも。
脳みそは、ロジックが好きそうだから。
悩みとかもね。