右肩だって悲しかった

昨晩、右肩が妙に痛くなった。
寝違えたとか、ねじってしまったとか、そんな感じの腫れを伴う鈍痛。
バイオリンのせいだろうか?と思ったが、とりあえず、フォーカシングしてみた。
フォーカシングすると、最近は治し方を教えてくれるようになったので。
例えば、ヒーリングだったらレイキがいいとか、お茶を飲めとか、
そういった感じで教えてくれる。
 
フォーカシングすると、「明日起きれば治っているので、心配しないで」という。
治るのだな、じゃ安心しよう、と言い聞かせる。
ていうか、痛みになだめられるって、どうですかね。
まあいい。
そのままフォーカシングを進めると、大学の学部時代の頃の情景が浮かんできた。
その頃、私は弓道部に所属していて、色々なことに精神的に押し流されていた。
そうこうするうちに、私は左腕に不調が出て、部活を辞めることになったのだった。
「このまま続けると腕が麻痺するだろうし、手術では治せない場所だ」
と医者に言われたのだった。
悔しかったし驚いたし、色々あった。
他にも、初めての一人暮らしや、周りの価値観との調和がとれなかったり、
色々あったのだということを沢山思い出した。
その頃は、親との関係がなぜ上手く行かないかもわからなかった。
様々なプレッシャーでぐったりしていたはずだか、
こんなことでぐったりする自分はおかしい、許せない、と思っていた。
左腕をもぎ取るような夢を見たり、自分にナイフを刺すような夢をよく見た。
「私は今、苦しい」
ということを言えなかったのだった。
そういったことを沢山思い出した。
誰にも肯定されないと思って、苦しかった。
それまで女子校だったが、大学で共学になり、周囲の価値観が変わったことで
社会学や哲学に嵌って本を読んだりしていた。
まあ、外に答えがあると思っている時点で、もとから答えのない探索ではあったと、今は思う。
大学でいきなり女としての自分の不在を突き付けられ、そのあたりの苦しみが左腕に出たのかもしれない。
まあ、骨格として生まれつき弓道に向いてない作りだったから、
そもそもそんなの関係ないのかもしれないが。
 
色々思い出した。
その頃の寂しさや、悲しみがたくさん出てきた。
こんなに消化しないで持っていたんだなぁ、と思った。
左腕が不調だったとき、右肩に掛かった負担を、そのままじっと持ち続けたのかも。
もうそろそろ、終わってもいいころだ、と思った。
あの頃の悲しみが育てた私は、あの頃を糧に生きてきた。
その思いが、何が原因だったか、分かってきた。
もう充分、自分に愛情を注ぐことに迷いはない。
この自分以外の自分は、この宇宙に存在しないのだ。
そして、これは宇宙が望んで変わってきた、結果のひとつだ。
 
 
ところで、弓道をやっていた時に、黙想というのを少しやっていた。
座って目をつぶっているだけなのだが、
ボーっとしていると、道場の神棚から竜が出てきて、
道場のみんなや私の周りをすいすい泳いでいき、
また神棚に帰っていく、というイメージが良く頭の中に浮かんでいた。
すいーっと竜が神棚に帰ると、大体主将が「やめ」というタイミングだった。
こんなこと、ずっと忘れていたよ・・・。
竜はずっと私の中にいたのだなぁ。
妄想でも、いい思い出だ。
 
 
そうそう、今朝起きたらちゃんと、肩の痛みはひいていました。
体はよく分かっているんだなぁ・・・。