私には力がある

殺してやるってどうなのよ、と思い、
その感じにフォーカシングしてみた。
 
そうしたら、
「私は誰にも殺されない」
「私には力がある」
「私はこの世界を生き抜くだけのポテンシャルがある」
「私がこの土壌を耕すものだ」
という。
 
うーん、
殺してやる、という感じは、「ふざけんなバカー」ってことだったんだろうか。
まあ、自分を生きられたら、活かせたら、それでいいじゃないかって思うんだが。
この社会(研究)で生きていきたいのかなぁ・・・そこが知りたいんだけど。
てか、本当に大丈夫?って訊きたいよ。
大丈夫、大丈夫〜♪、って、なかみは返事をするけれども。
不安も自分で作っているだけなのかもしれないが。
 
まあ、理不尽なことがあったら、怒っていい、という練習だったのだろうか。
こんな練習が完了したら、今度は怒りを感情を混ぜずに伝える練習かなぁ。
あっ、もう怒りたくありません!と言っておく。
 
それにしても、ギャンギャン言ったり殺意(?)を持ったり激しい自分と、
「わー、大変だー。落ち着きたいけどどうなのかしら〜」
っていう感じで、ぼんやりと見ている自分も、最近は確かにいる。
分離とは、違うのかしら。