水に沈む

フォーカシングの記録。
因みにフォーカシングは瞑想のカテゴリに入れております。
 
私はわからな先生オープナーちゃんと三つ巴でわけがわからない
という状況の中。
わからな先生とオープナーちゃんが友達で、
私は別に生徒じゃないのだが妙なつながりができて
もうはっきりしてくれ!みたいな。
わからんね、わからんのです。
 
こういう時こそフォーカシング。
しかし、プロの方に
「他人との関係性のフォーカシングは、結論が出ないことが多く、分かりにくい。
相手の言ったことは相手の思っていることだったり、自分の思っていることだったりする。複雑化しやすいようだ」
という注意を受けていたので、その辺を忘れずに。
 

私の、両手が見える。
手の上に、金の飾りがある。
それが垂れ下がっていて、手の甲を越えて指の先から垂れ下がっている。
その両手を、
左手をどっかの戦士みたいな恰好のオープナーちゃん、
右手をダヴィンチみたいな恰好のわからな先生が取っている。
二人にいざなわれて、地下に続く階段のようなところの前に来る。
その階段は石膏のようなものでできているのか真っ白。
そして、水で満たされている。
私はそのまま進み、階段を下りて行く。
二人は階段のわきで私が下りて行くのを見ている。
水は、冷たくも温くもない。
鼻のところまで水につかる。
頭まで水につかる。
海水よりも密度が高い水だ。
羊水のようなものだろうか。
前に溺れたことがある、という思いがあるが
今はもう、苦しくない。
階段を降り切る。
世界は、ブルーグレーに透き通っている。
向こうに、人影がある。
男性のようである。
「さあ、次へ」と、声と仕草で促される。
右側の方へ歩いてゆく。
しばらくすると、天井がなくなる。
ここは海の底か、それにとてもよく似た場所だ。
きらきらと水面で光が反射し、それが水底に届いている。
それを見ていると、穏やかな気持ちになる。
「そうだ、満たされているとは、このことだ」と思う。
人影にしか見えない離れた所に、何人も、私のように水底の砂の上に立つ人がいる。
姿は見えないが、そこに居るのが分かる。
溺れたりしないで、ここにいることができる。
 
ここで、私は置いてきた二人になってみる。
わからな先生は、階段の入り口で石膏像になっていっている。
足もとから白くなっている。
「私は、ここに居ることが仕事だ。この過程を知り、この階段を越えて行く人に伝えることが仕事だ」
という思いがある。
見守ることを選択するには、私は変わるべきではないのかもしれない、と思う。
変わらないことを選択しても、意味はないのでは、と思う自分も居る。
「しかし、私は見送るのだ」、と思う。
 
オープナーちゃんを見ると、「行ってしまった、行ってしまった!」と何度も繰り返している。
わからな先生は「我々が引導をわたしたのだ、彼女は戻ってこない」と、斜め下を見ながら告げる。
オープナーちゃんは身を捩り、バリの派手な舌を出した竜のようなものになって、飛び出した。
身をよじりながら、空を飛ぶ。
わからな先生はそのまま、石膏像になって階段のそばに立っている。
私はオープナーちゃんになってみる。
わからな先生を置いて、空へ向かってゆく。
白い建物を出ると、周りは一面にブルーグレーの海が広がっている。
白い建物から少し離れた所に、小さな黒いポツポツが見える。
良く見ると、人のようだ。
ああ、行ってしまった彼女が、私を見上げている。