怪しい世界をどう認知するか

このブログ、怪しいです。
まあ、怪しくないところもあるけど、
前世だの瞑想だの、天使だのと怪しいです。
ガイドって何だよ、みたいな。
最近はそういう世界を認知している人たちは多くなってきているみたいだけど。
私が普段居る社会の周りの人たちに、「ヒーリングといえば、どれが好み?」
などと言ったら、きっと怯えてしまいます。
以前正夢の話をちょっとしただけで、
絶句してしばらく口きいてくれなかった人もいたな・・・。
 
そんな社会に生きているワタクシ、
どちらかというと、「見てないものは信用しない」みたいなところがあり。
そう、ガチガチの理系なのです、根本は。
そんなんだから、自分で試してしまって、
試してみたらアレレみたいなことになっているんですが。
 
ところで、深層意識って、今までまだ、すべては明らかになっていないわけです。
自然現象で、神の怒りなどと言われていた雷だって、摩擦現象と分かれば
別に何ともないわけです。
まあ、あるもんはあるわけで、
自分のいいように解釈したいときはそれはそれで、と思うのです。
ただ、「これは私のいいように解釈したもの」というのを忘れない、と。
 
このブログは私の日記兼備忘録なわけですが、
前世をたくさん書いていますが
あちら側のファンタジーな世界を沢山書いていますが、
これは私一人の認識によって成立している、
ということがキモです。
人間の人格というのは、表層に現れる性格以外の無数の人格が存在しているらしい。
そういうのが、分裂すると病気ですが、
認識すると統合されていくわけです。
そういう作業を、前世という名目でやっているだけかも、と思うのです。
 
他者との関係性だって、言葉にできないものがあったりするわけで。
しょっちゅう話をしたりするわけじゃなくても、
なんとなくお互いがいるということで支えられる、という関係とか。
その、支えられているんだなぁ、ということを自覚する方が自分にとって良い、
というときに、そういった形の前世を見ることになったり。
 
また、自分の人格が成長してきて自己信頼が確立してきた、
それをより強化したい、
という場合に、前に書いた守護天使のようなもので現れたり
他人格として現れることで、
自分の深い欲求を罪悪感なく自分に告げることができる
なんていう利点もあったりするわけです。
 
まあ、レイキとかは瞑想みたいな効果も大きいわけで。
やってみると、何かあるかなという気もしますが。
何でもかんでもスピリチュアル、とか言うのは違うだろ
って思う。
 
だって、もしこの世界に唯一の神がいたとしたって
自分を生きるのは自分の仕事だもの。