いつもアイソパラメトリック

アイソパラメトリック (講談社文庫)を読んだとき、アイソパラメトリックについて
「全く無関係のものが同一の方程式、あるいはモデルで近似されるというニュアンス:有限要素法において」
というような説明があった。
 
それを読んだとき、
あー、人間っていつもアイソパラメトリックだわ、と思った。
私たちは同じ経験をしているようだが、
実は一つも同じ経験は無い。
ただ、似たようなことがあるだけだ。
もしくは、似ていることにして、安心しているだけのことだ。
どんなに状況が似ていようと、同じ現象はない。
誰かの何かの経験は、本当に参考にしかならないのだ。
 
私たちは違うものだから、
同じものに目を向けていたとしても、いつも違うものしか見ることができない。
自分は、常に変化を続けるしかない有機体なのだから、
同じものに目を向けていたとしても、いつも違うものしか見ることができない。
 
一秒前と一秒後では、確実に違うのだ。
空気の成分も、大体は同じと言えるかもしれないが、場所によって濃度や成分が違う。
着ているものによって体感温度は違うし、
同じものを着ていたとしても、以前の経験が違うから、同じ温度で同じ体感温度になることもない。
 
似たようなものを並べて、安心しているだけなのだ。
ただ、安心したいだけなのだ。
でも、それの何がいけないのだろう。
安心したいというのは、とても、基本的な欲求だ。
 
安心したいと思って安心できるような考え方を選んでいるのだ。
同じようなことが起こったから、同じようなことを考えているようだから、
これは大丈夫、という。
私たちは、私たちという違う現象の中で生きている。
この体だけとっても、明らかに違う。
この体というフィルターを通して、世界を認知しているんだ。
 
何かと同じかも知れないと思うとき、
アイソパラメトリックな状況になっているだけだ。
本質は違うことを忘れず、そして恐れない。
 
恐れないでいよう、
心を開いていよう、
たとえ、受け入れられなかったとしても。