真理は体験だ

と、思いついた。
いや、辿り着いた。
 
いろんな人が、いろんな形で、真理を伝えようとしているけど、
全然うまくいってないよな、と思った。
宗教も哲学も科学も芸術も、真理はあるんだ、と言う。
あるある、
あるのはわかる。
でもなー、伝わらない。
その一撃を受けたら、確実にあることはわかる。
だって、真理だとしか言いようがないから。
でも、稲妻のように、一撃。
一瞬。
 
忘我の境地で、「これは真理だ!」とわかる。
いや、忘我なんかじゃなくても、エゴドロドロでも、わかる。
 
永久に真理の中に居たい、と思うから、真理を追い求めてしまうのだろうか。
でも、追っても、ない。
そこにいるから。
追いかけたら、そこにいる真理を置いて行ってしまう。
いや、気付かないだけで、追いかける自分とともに真理はそこにいる。
真理は、ただ在るだけ。
 
怪我をした時の痛みのように、
コーヒーを飲んだとき鼻腔を立ち上る香りのように、
体験すれば、それが、そのものだってすぐわかる。
 
真理という名のバットがあったら、
それで殴ってやればいいわけだが、
そんなことできないわけですよ。
 
でも、待っていればやってくるものだと思う。
私の中には、あなたの座る椅子がもうありますよ、っていう感じで。
そうすると、入ってきやすいんじゃないだろうか。
 
まあしかし、心を閉じて、目を伏せ耳を塞いでも、来るときは、やってくる体験だ、
そう思う。