絵の中に見る自分:フェルメールとオランダ風俗画展

で、フェルメールその他(酷。
 
メインは「牛乳を注ぐ女」という絵です。
美術の教科書に載っていたのを覚えています。
 
それにしても、かつてのオランダには私は絶対住みたくない!
女は口がきけて子供が生める家畜のようです。
でも、女性の家畜化は世界中のいたるところに依然として現存しているし、
まだまだ、この日本にもその精神が息づいている、と思う。
ああ腹立たしい。
 
それはともかくとして、
絵を見ていると、さまざまな感覚が湧き上がる。
知らないうちにフォーカシングをしている。
画家の声が聞こえるようだ。
この絵画展で飾られていた絵のモデルの多くは階級が低く、
画家の方が地位が高いようだった。
美しいモデルたち。
それを直接、または心の中で反芻しながら見つめる画家たち。
もう、相手に対し愛情を持っているけれど、それはないことにしている。
ここにあることをうっすら感じているけれど、これは、夢だから。
そう言っているような気がする。
囁くように、または強い大きな声で、自分の見ている美は、絵の中だけだから
と、自分を抑制しているような、それを知っていながら楽しんでいるように感じるものもあった。
 
有名なフェルメールの絵は、まあ、A3ぐらいかなあ。
光が注ぐ窓辺の台所。
きっと、空気が悪い/笑。
私なら、すぐに窓を開ける空気だなと判る、その色。
フェルメールは、モデルにやたらに話しかける画家だったのではないか、と思った。
饒舌なフェルメールの声に表情を崩さないようにしながら、
モデルを務めていたのではないかなぁ。
 
何となく、モデルたちの、こちらを見ていない、でも気にしている感じを受けたのでした。
そして、画家たちの囁き。
楽しみはここにある、でも、巻き込まれはしないよ。全てを味わうことは、私はしないよ。
それを選択し、それに小さな喜びを感じているかのようだった。
これは、私の何を感じたのだろう。