判断

知らないということを攻めるのは簡単で、勝ちたいと思うエゴを簡単に満たしてくれる。
 
そのエゴ、意識していたい。
願わくば、気付きと共に手放すことを選択したい。
 
あの説教親父は説教に自覚していた。
それに恥じたしぐさもしてみせた(しぐさだけ?)。
しかし、私に勝とうとした。
勝とうとした?
 
私に理解して欲しいと、願ってくれたのではないか?
他に方法を知らないだけだったのでは?
私に付いた傷が見えないだけだったのでは?
多少の傷や嫌悪感を伴おうとも、伝えたいことがあったのでは?
善悪は、私の主観が決めているだけのことなのでは?
 
 
彼はただ、恐れていただけのことかもしれない。
私より歳がかなり上なのだから、「上」でなければ自分が価値が危うくなると。
安心と安全を求めて、噛みついてきたのかな。
事実、
「哲学なら負けないよ」
と言ってた。
哲学は勝ち負けじゃないよ。
自分と同じ感覚を持つのが正しい感じ方だ、と主張していた。
「感じ」の正解は主観じゃないのかな?
「わかって」って言ってたのかな。
最後に求められた握手はなんだったんだろう。
「敵にはなりたくないです」って言ってたのかな。
 
 
今日も思わぬところで、自分というものの扉をノックされました。
うーむむむ。