思わぬところで脱衣

いや、露出狂という意味ではありませんです。
石井ゆかりさんという星占い師の方のブログを読んでいて、気づきがあったので覚書。
 

相手の気持ちをそのまま受け取ることができない。

相手にとって自分が大事な存在だなんて、信じられないのだ。

だから、しばしば、人を大事にできないのだ。

私が相手を拒否したところで

相手は痛くもかゆくもないだろう、と本気で思っている。

誰に対してもそんな調子だから結局、うまく人間関係が作れない。

仮説 - 石井NP日記

上記の箇所を読んで、「ひぃ!」と声を上げそうになりました・・・//汗。
おそろしぃ。
私も、そうだった。
大事な人はいるけれど、その相手にとって大事であることはないだろう、と。
なんというか、決して登れない井戸の中に私だけが落ちている状況
というような孤独感がどうも拭えぬ人生だったのですが。
こちらが、相手を阻んでいたのではないか?
自分も与えたり、他者の人生に組み込まれたり他者を組み込んだりの人間関係の渦中にある
「ふつうのひと」
であることを拒んでいたのでは?
「人間関係にもまれる普通の人生であることが出来ない孤独な特別な人」
であろうとしていたのでは?
違うだろ、自分で、そうやって気取って生きてきたのでは?
分かりやすい特別じゃないと、生きていけないと思い込んでいたのでは?
そうじゃないだろう。
誰もが普通で、誰もが特別だ。
それが当たり前だ、と分かってきたんだろう?
そんなふうに、思い始めました。