ねがい

自分自身の不安や恐怖をも
笑うことができるのがクラウンなのです

茂木健一郎 クオリア日記: ちょうどよいエネルギーで

つい、昨日のモーニング・ページの最後の方で、

  • 神様、私にすべてを面白がる力をください

と書いた。
これがあれば、どんな状況でも楽しく生きていけるんじゃないか、と。
とは言いつつ、神はある意味自分だろ、と思ったりもして、ちょっとウケたり。
あと、その本のワークの一つにある「自分を守ってくれる編集者に手紙を出す」というのをやった。
そこで書いて分かったのだが、私が求めているのは真綿でくるんだ上に鉄板巻くような守り方ではなくて
私が自分自身を信じられるだけの力を失わないように、
失ってしまいそうになったときに存在の源に気付かせてくれるように
私を見ている、というサインを送ってほしい、ということだった。
 
とにかく守られたい、とにかく何事もない日々を
ということを求めなくなったのは、ある意味、自分自身に生きる力があることを認め始めたからだろう。
何かがなければ完成しないなどというものなど、存在しないのではないかと思う。
一方で、何かがもし一つ欠けたら、この世界自体が存在しないとも思う。
常に言葉は矛盾を抱えているが、矛盾していても、見つめているものが同じならば
根源の何か(神、宇宙、真理とか)に矛盾しないんじゃなかろうかと思う。
どう言ったらいいんだ。
もういいや/笑。
うまい言葉が見つかったら、また書けばいいや。