やれやれ

再訪は別れのサイン
 
というのが、精神的な課題を乗り越えるうえであるが、
これをまたすっかり忘れてがっつり落ち込んだ。
で、
落ち込んでいるときは、
耳が聞こえない
と思った。
というか、
 
声が届かない。
 
「自分に近寄りすぎだ!」
「今、シーソーに乗っちゃってる状態だから、降りろ!」
とか、そう言う自分の声も、心に届かない。
わかっちゃいるけど抜け出せない、というか。
でも、抜け出せると思っていれば、そのうち抜け出せる。
今日は、首ぐらい出た。
裸で冷凍庫に居て、首だけ出した状態を想像していただきたい。
首から下は、今のところ、猛烈に寒い。
でも、出られるんだ、と思い出しただけでもかなり違う。
 
うっ、ビール飲みたい。
 
自分で書いて思ったが、
精神的なことであっても、物理的なことであっても、
結局、何かがやってきて、去って行くのを見守るしかないのだなぁ、と。
性格も変わるし、
環境は変わるし、
体も変わるし、
人は生まれては死んでいくし、
何より自分も近いうちに確実に死ぬわけだ。
 
自分がどんな存在に自分が見えたとしても、
こんな自分も、
地球の歴史の上で必然の過程の一つだ。
ハワイでドロドロ溶岩が海に流れ込んでいることと同じように、
一人の人間が生きているということが、地球の存在の証明だ。
もし私に意思というものがあるとすれば、
地球にも意思(人間と全く同じ過程ではなくともそう呼べるであろうもの)があるのだろう、と私は思うのだが
それが、私に生きろというのだから
じゃあ、
できる限り生きてみるか、と思う。