魂のレベル

おそらく、褒め言葉らしきものを投げかけられて腹を立てたのは、初めてかもしれない。
最近、数人に「あなたは魂のレベルがうんぬん」と言われた。
馬鹿な話だ。
 
魂があったとして、
魂にレベルなどない。
絶対ない。
 
そう思う。
第一、命の尊さに差はないのに、
魂にレベルなどあるものか!
その話を聞いた時、正直ムカついた。
 
その意識は、ある種の選民意識だ。
「私はあなたとは違う」
それは当然のことで、違う。
その奥にある、
「私(だけ)には分かる(普通の人には分からない)」
という選民意識がチラチラしているところが、ムカつくのかも。
上下をつけたがるのは、生き残りたいという思いから来るのだろうか。
 
でも、魂なんて見えないもので、「レベル」などと言うは、何だろう。
目が見えない人に「あなたは色の重要さが分からない」と言っているようなことだ。
価値なんて、ただの幻想だ。
しかも、自分の幻想だ。
本来、遊ぶための道具のようなものでしかないと思う。
それを、人間に使うなよ、と思う。
価値をつけるということは、商品に貶めることではないだろうか。
自分を、他者を商品にしてどうするよ、と思う。
私は商品になりたくない。
第一、もし「レベルが高い」と言ったとしても、
価値をつけるものは、必ず、価値をつけられるものよりも
絶対的に価値が高いという、踏みつけられる位置関係にある。
 
 
しかし、こんな一言にムカついてる、ということは、
どこか自分に価値があってほしいという願いと、
どうせ商品なんだろ、
みたいな投げやり加減が消化されず、
やっぱり自分の中にどこか残っているせいだろう。
 
加えて、「魂のレベルがどうこう」という表現が人に与えるものは、
例えば単に
「あなたはふろ上がりなので、きれいです」
というのとは違うと思う。
 
選民意識は、ある種の病気だ。
まず、自分がそれを落としたい。 
世の中は、本当によくできた鏡だ。
むかつくほどに、面白い。