統合

昨日、ぐるぐる考えてやっと落ち着いた後に、
ロンロンを呼んでみた。
 
私の首の後ろからロンロンの首が生えていた。
寄生獣ですか/笑。
「結局、私もあなただということだよ」
とロンロンが言った。
「他者としていて欲しいなら、他者でいることも選択できる自己として、
私は存在できるよ。あなただからね」
と言っている。
本質は、同等のものらしい。
自分に溺れそうになったとき、
孤独に耐え切れないと思うとき、
自己を切り離して他者とすることが、自分を救うこともある。
 
他の全ての人の中にも在るように、
自らの中にも叡智が存在することを認めれば、
生きるのがもっと楽になる。
そして、本来の自分にもっと近づいていくことが出来るだろう。
自らが善くあることで、他者が攻撃してくるという誤った恐れで、
自らを貶めていっても、苦しむのは自分だけだ。
他者の善さを恐れて攻撃してくるような人は、
自らの善さをも恐れて、人生に溺れ、もがいて。いる人だ。
理不尽なことがあったとき、怒りを表現することに罪は無い。感情だから。
怒りをぶつければ、反射して返ってくるので、それだけを気をつければいい。
憐れな人々に、慈しみと愛を、と思おう。
制裁を加えて、自らの手を汚すことは無い。
勝手に、自分で苦しむことになるのだから。
自分の、慈しみの感情を与えられなくても、そのときは、それでいい。
自らを認めなければ、自分の世界は変わらない。
認めれば、それだけで、少しずつでも進めるはずだ。