表現が私を待つ

最近、不思議な感覚を味わうことが頻繁になってきた。
例えば、自分の変化。
 
今までの自分は、変化は知らぬ間に起こり、それを通り過ぎ、かなりたってから気づく。
それが普通だった。
が、
変化が起こっている最中や、その直後に気付くようになった。
それはとても幽かなサインで、
自分の書いた文字が微妙に変わったことや、
誰かに言った一言が今までと少し雰囲気が違うこと、
何度も繰り返し同じ経験をした時の、判断そのものの前に思う、一つの課程。
 
「あ、変わった」
と思う。
季節の変わり目を、肌で感じることに似ている。
この変化を、以前は畏れと共に感じていたが、
今は愛しささえ感じる。
それがまた、うれしい。
 
先ほど、人様のブログを読んでいたら、
自分の中に、私を待つ表現を感じた。
不思議な感じだ。
「書きたい!」
ということがあって書くことはままある。
もしくは、どうしようもなく仕事のような形で書く。
今回は、そうではなく、何かを得た後に、これについて表現をする
というほどの、幽かなものだ。
新婚の夫婦を見て、
彼らの孫思うほどのものかもしれない。
 
小さな気づきは、私への予告だ。
やっとそれに気付くようになった、それだけのことなのかもしれない。
これが、私の世界では普通であるもので、
それを少しずつ取り戻しているのかもしれない。
そういうことが、私は嬉しい。
私はただ、私になっていくのだ。